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行 事 幹事会等 その他 名幼会の経緯



山本卓眞会長 お別れの会
平成24.3.9(金) 帝国ホテル
 山本前会長にはさる1月17日、肺炎で逝去された。3月9日(金)正午から帝国ホテル・孔雀の間 にて「お別れの会」が富士通主催で開かれた。政財界を始め、偕行社などの各団体などの関係者が多数が哀悼の意を表した。旧名幼会関係では西宮生徒監を始め各期有志が参会し、47期は榊、野村、今村、梶、増岡、横山の6名が参列した。生憎の朝からの雨の日であったが、大変な人数の参列者で我々一同も謹んで献花してお別れをしてきた。
 献花場は白い花で飾られた富士山形の大きな祭壇の中央に会長の大きな写真が飾られ、中央に天皇陛下からの祭祀料、祭壇両側に三笠宮寛仁親王殿下の生花、また逝去に際して叙せられた従三位の位記が飾られた、簡素な内にも厳かなものであった。
 献花が終わり隣接の懇談会場には、壁面に故人のの経歴を紹介して写真が展示され、数多い富士通時代の写真の冒頭に、凛々しい飛行服姿の会長、航空士官学校の集合写真(我々始めて拝見)などが飾られていた。会場には我々47期以外の期、他校47期、偕行社関係の皆さんなどが見えて、故人を偲んでおられた。(詳細)



「名古屋陸軍幼年学校の跡」碑の建設
   
・経緯:名幼関係の記念碑などは中部管区警察学校敷地内の観武台にあるが、気軽
 
 クリック
に立ち入れる場所でなく、名幼会も終結したので次第に忘れ去られてしまう可能性がある。これを危惧した中部地区の有志が中心となって「名幼校碑の会」を作り、建設を企画・運動してきた。当初県道から中管校正門への取り付け道路の敷地に設置する案で計画したが、諸般の経緯の後不成功となった。代替案として正門から見て県道を挟んだ反対正面の私有地(地権者から借用の市用地)に建設することで進めてきた。
この計画は、小牧市や地元下末地区住民皆さんの熱心な支援を受け、最近になって急速に進展し、12/20着工、H23.1.10竣工式 として実現した。
碑銘:名古屋陸軍幼年学校の跡 揮毫:中野直輝・小牧市長

・費用:解散前の名幼会の補助並びに各期・有志の浄財による




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名幼会終了・解散のご挨拶

謹啓 新秋の候 時下ますますご清祥のこととお慶び申し上げます
顧みますと明治三十年九月名古屋陸軍地方幼年学校創設以来百十三年 戦雲覆う昭和十五年三月名古屋陸軍幼年学校として復興して七十年 戦後も私どもは先人が築いた伝統を継承してきました 会員が八十歳を越えましたので名幼会は本年九月をもって解散し光輝ある歴史を閉じることになりました 永年に亘りご支援ご交誼賜りましたご厚情に対し衷心より感謝いたし厚く御礼を申し上げます
名幼会・名古屋陸軍幼年学校は存在しませんが 第二代校長橘中佐の遺芳たる誠心は変わることなく後世に伝えられることを念願いたします まずは略儀ながら書中をもってご挨拶申し上げます 
時節柄一層のご自愛をお願い申し上げご健勝を祈念いたします 謹白
平成二十二年九月
名幼会(名古屋陸軍幼年学校同窓会) 会長 山本 卓眞

      備考:名幼会終了に当たって関係先に送付した挨拶状


行 事
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第49回名幼会総会(最終回)  (総会模様)
名幼会として最終回となる第49回名幼会総会は、平成21年11月17日 AM11時より幹事49期でグランドヒル市ヶ谷において開催された。

出席者は、来賓として橘神社宮司橘周次郎氏、西宮正泰生徒監、宮澤彰正班長、上村幸一班長を始めとして、ご遺族として野村生徒監ご遺族野村レイ様、白谷トキ子様、小柳世津子様がご参加になった。名幼会最後の総会になることもあり参加者は約230名の盛会となった。会の開始直前河合班長が体調不良を押して参加されたのには一同びっくりした(会の途中で退出)。
 (内訳)43期:31名  44期:28名  45期:15名  46期:23名
     47期:39名(内夫人など4名) 48期:30名 49期:54名

「47期出席者」
1訓:浅井、上之門、釜井夫妻、亀田、小山夫人、佐武、渋谷、塩田夫妻、野村、平井、前島、水越
2訓:今村、川井、川人、後藤、榊、櫻井、三溝、中北、萩田、若月
3訓:有竹、池谷夫妻、井上、加賀夫人、梶、恒吉、鈴木夫妻、中村、増岡、松本、山本、横山、吉岡


定刻の11時、冒頭自衛隊東部方面音楽隊伴奏で国歌斉唱、続いて喇叭吹奏の中で物故者への黙祷が捧げられた。さらに音楽隊伴奏で名幼校歌を斉唱した後、長屋総会実行委員長の歓迎の辞で総会が始まった。
来賓の紹介後、山本会長から、いよいよ名幼会も終了を迎えるが、元気である限り各期・各訓育班の交流を続けられたいなどの趣旨の挨拶があった。

続いて榊事務局長から
「この1年間の会務、名幼会終了に伴う各種事務、橘神社への永代祈願料の奉納、偕行社文庫・板妻連隊・中部管区警察学校などへの資料寄贈状況の説明、さらにたちばな71最終号を発刊し、明平成22年9月30日を以って名幼会を解散する。なお会費残が出た場合は寄付等最善の措置を講ずる」旨の会務・会計の報告があった。

解散に伴う対策の委員長43期古澤氏より経過報告がなされた。この1年間資料の寄付など必要な措置も順調に推移した。これに当っては昨年の総会において寄付を頂いた終身会員積立金による活動費によって活動も円滑に行われたと報告された。

以上の会務の後、陸上自衛隊東部方面音楽隊による演奏が行われた。今年は趣向を変えて音楽隊の得意とする曲を披露してもらったとの事で「祝典行進曲、士官候補生、旧友、君が代行進曲、双頭の鷲の旗の下に」など、さらにアンコールに応えて勇ましい「ラデツキー行進曲」が演奏され、しばし聴き入った。

休憩の後、49期金井清一・京都産業大学名誉教授により「古事記・日本書紀の成立からみた日本古代国家と中国」の題で記念講演が行われた。

終了後休憩の後懇親会に入った。

しばし休憩の後、橘宮司及び西宮生徒監の祝辞を頂き宮沢班長の発声により乾杯により懇親会に移った。

15時近く恒例の校歌・行進歌斉唱の後、万歳三唱があり、続いて長屋実行委員長より、恒例の次回への引継ぎもなく、いよいよ終了となる閉会の辞が述べられ、万感の思いを込めて名幼会総会が閉会した。


総会終了後総会会場の向かいの「翡翠の間」で秋季同期生会が開催された、それに先立って総会会場を利用して「集合写真」を撮影

集合写真(クリック



橘神社秋季例大祭式典に参列 H21.9.16   (詳細)
軍神橘中佐・名幼第二代校長をご祭神とする長崎・雲仙千々石の橘神社の平成二十一年度秋季例大祭が、9月16日に執り行われ、名幼会から15名(東京から12名、福岡から3名)が長崎偕行社会の方々と共に参列した。参列者は県・地元市町村、自衛隊からは静岡の普通科第34連隊、佐世保・長崎の代表者が列席していたのが印象的であった。

式前に参列者代表として木村東馬、佐川久也、多治見国正三氏ともども橘周次郎宮司を表敬し、例大祭奉賀と共に、名幼会終了の意を込めて永代祭祀料を奉献した。

 参拝旅行は9/15長崎着、空港で長崎偕行会皆さんの出迎えを受け恐縮する。長崎市内での観光のあと普賢岳爆裂跡を展望し当時を想い起し犠牲者の冥福を祈った。宿泊ホテルにおいて夜懇親の集いを持った。長崎偕行会の方々も参加し和やかな懇親の宴が持たれた。(事務局長 榊 記)


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自衛隊板妻駐屯地見学    (詳細)


かねて懸案であった自衛隊板妻駐屯地 第34普通科連隊 の見学が、爽やかな初夏の6月10日(水)実施された。午前8時過ぎ東京駅丸の内口発のバスに乗り、新宿西口経由で東名高速を走り、11時過ぎJR御殿場駅で残りの参加者と合流、山本会長以下合計24名が板妻駐屯地に到着した。(47期:浅井、井上、今村、上之門、梶、川井、榊、三溝、野村、増岡、水越、山本、横山 計13名) 

駐屯地では広報担当幹部の吉田隆仁氏等の出迎えと案内により、直ちに資料館を見学した。駐屯地は営門を入ると正面に「橘中佐」の銅像が置かれた一角があり。橘連隊を唱える連隊が井駐屯している雰囲気が迫ってくる。資料館見学に先立って板妻駐屯地の概要の説明があったが、生憎主な構成である普通科第34連隊は、連隊挙げて近くの演習場へ演習に出掛けており、隊内での演練を見せられないのが残念ということであった。

資料館には橘中佐関連の旧歩兵第34聯隊を始めとした旧陸軍、松井石根大将、特攻関係、自衛隊関係の資料、武器などがせいぜんと陳列されている。また入って正面の橘中中佐関係の陳列棚の左手の陳列ケースには橘中佐に関係が深かったということで名古屋陸軍幼年学校関係の資料(名幼関係者寄贈)が整然と陳列されている。

この日は朝から曇っていたが折悪しく雨模様となってしまった。資料館見学後、隊員食堂で一同昼食を摂った。当日のメニューによって調理された皿を順次ピックアッップして盆に入れて一同食卓の並んで食べた。高齢者には十分すぎる量とカロリーであった。

昼食後会長、榊事務局長、増岡の3名はこの4月に着任したP戸山昭臣駐屯地司令に表敬の挨拶をする。昼食後再度資料館に戻り、普通科連隊装備の基本的武器のである拳銃・小銃・機関銃・無反動砲について性能・操作方法の説明を受けた。ここで活発に質問多数。

その後売店(PX)に案内され、最近の軍隊の酒保?の様子を観察した。ゲームコーナや住宅建設相談まであり、市中のコンビニ風にの多様化された販売品に時代の流れを感じた次第である。
 14時30分広報官各位の見送りを受けて板妻駐屯地を後にした。帰りは逆コースでJR利用者は御殿場で解散、他は帰路途中にある御殿場プレミアム・アウトレット見学の提案があり立ち寄る。この頃は雨も上がり、宏大な東西に分かれたゾーンの一部を見学し、16時過ぎ無事最後の到着地:新宿に帰着、解散した。

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第48回名幼会総会   総会模様
第48回名幼会総会は、平成20年10月29日 AM11時より幹事48期で名古屋の名鉄グランドホテルにおいて開催された。

出席者は、来賓として生徒監西宮正泰、班長上村幸一、宮澤彰正及び医務室班長船橋冨次雄の四人を始めとして、ご遺族として山田真佐子様(生徒監長女)、笠井誠之・絹江(班長長男夫妻)がご参加になった。名古屋では最後の総会になることもあり参加者は約190名の盛会となった。(47期関係参加者名簿)
 (内訳)43期:23名  44期:21名  45期:12名  46期:18名
     47期:33名(内夫人など4名) 48期:52名 49期:23名

定刻の11時、48期松永氏の司会により冒頭物故者への黙祷が捧げられ、続いて中井実行委員長の歓迎の辞で始まった。山本会長から、いよいよ名幼会も終了を迎えるが、元気である限り各期・各訓育班の交流を続けられたいなどの趣旨の挨拶があった。
続いて榊事務局長の会務・会計報告の後、解散対策「名幼会の今後」について、対策委員長43期古澤氏より対策報告がなされた、最大の懸案として終身会員の積立金の処理として、半分を活動費として寄付願い、残り半分を各人に返却することにしたいと提案があったが、総会出席者の一部から全額寄付でよいと良いと提案が有り、満場の拍手で全額寄付が承認された。


44期石原金三氏より「篠岡山回想」の記念講演が行われ、予め「名幼略年誌」を作成配布されて名幼復興後から戦後の観武臺碑発掘と現在地への安置の経緯などを感慨深く述べられた(石原氏は名幼以後弁護士を勤められる傍ら中部管区警察学校の講師を勤められるなど関係が深かった)。

しばし休憩の後、西宮生徒監の祝辞と発声により乾杯により懇親会に移った。47期席

15時近く恒例の寺門氏の指揮により校歌歌斉唱の後、49期に次回総会の引継ぎを行った。上番の49期長屋氏が「次回は11/17 市ケ谷のグランドヒル市ケ谷において名幼会の発展的解散の総会を開催する計画であるので大勢の参加を期待する」旨挨拶があった。

万歳三唱により、総会は無事終了した。

明くる10月30日は名古屋駅よりバス2台を仕立てて観武臺を訪問した。参加者は約75名(1号車:38名 43期、46期、48期など  2号車:27名 44期、45期、47期、49期など) (写真)

     


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第47回名幼会総会   総会の詳細 
第47回名幼会総会は、平成19年11月3日 AM11時よりアルカディア市ヶ谷において幹事47期で開催された。

出席者は、来賓として生徒監西宮正泰、班長上村幸一のお二人を始めとして、今回は高知より故前田生徒監奥様のユキ様がご子息奉誠様同伴でご参加になった。参加者は145名(うち夫人等同伴者13名)の盛会となった。
 (内訳)43期:18名  44期:9名  45期:7名  46期:17名
     47期:58名 48期:13名 49期:19名

定刻前から参加者が続々来場、定刻の11時大熊実行委員長の歓迎の辞で始まった。会長の挨拶の後、陸上自衛隊東部方面音楽隊の伴奏で「国歌斉唱」続いて「黙祷」の後、今回の目玉イベントである音楽隊の演奏が続き、総会の前半が終った。

後半は榊事務局長の会務・会計報告の後、名幼会の終末を諮る「名幼会の今後」について、幹事会で決めた終了解散が承認された。
来賓の西宮生徒監の祝辞の後、本年91歳ながら壮健そのもので威勢のいい上村班長の音頭で乾杯、懇親に移った。
15時近く恒例の校歌・行進歌斉唱の後、48期に次回総会の引継ぎを行った。上番の48期松永氏が「次回は名古屋で開催する方向で計画する。大勢の参加を期待します」と挨拶があった。

終わりに43期で5月生まれの最年長の多治見国正さんが、いろいろ病気をしたが生き延びている。皆も頑張ろうと元気に万歳三唱の音頭をとり、総会は無事終了した。
   
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第46回名幼会総会  総会の詳細   (記録:榊、写真:萩田・49期長屋)
         
第46回名幼会総会は、平成18年10月28日 PM11時より霞が関・東海倶楽部(東海大学交友会館)において幹事46期で開催された。

出席者は、来賓 西宮正泰、宮澤彰正、上村幸一の諸氏を始めとして114名(うち夫人4名 孫1名)の盛会となった。
 (内訳)43期 21名、44期 9名、45期 10名、46期 32名
     47期 16名、48期 5名、49期 17名

定刻11時に開会。今年も会長の自衛隊殉職者慰霊会出席と重なり、物故者(この1年間の物故者は42名)に黙祷の後、総会次第を変更し、最初に榊事務局長から会務報告行われた

  観武臺会員は、796名でうち会費徴収会687名で、109名は連絡不能である。
  また長塀町会員は、19期木村竹治氏、22期石橋松茂氏の逝去で、24期岡村忠国氏ただ1名となった。 

来賓・西宮正泰氏祝辞
 我々にとって幼年学校とは何であったのか! それは責任感の何ものかを掴んで人生を歩んで来た。未だに薫陶を受けた阿南校長のことが忘れられない等、回想も交えたお話があった。


山本会長挨拶
 防衛庁追悼式に出席。殉職者の霊に哀悼を捧げてきた。
 安倍総理が誕生し、有事の議論が出来る機運になった。
 板妻駐屯地・34連隊は軍人の柱となる橘精神がある。橘神社への崇敬の心。今後にどう繋げるか。等々。
 偕行社も漸く幹部自衛官OBの加入者も500名を突破した。

記念講演 岡田吉見氏(46期)
 感染症ウィルスの恐ろしさをスライドを交え、素人特にシニアにも解り易く講演された。

<FONT size="-1"><FONT size="-1">校歌・行進曲の合唱</FONT></FONT>
校歌・行進曲の合唱

懇親会、名幼校歌・行進歌斉唱と続き、来年の幹事47期への幹事申し送りが、46期実行委員長・水上裕雄→47期実行委員長・大熊昭三で行われた。来年は11月3日(アルカディア市ヶ谷)の予定

最後に上村幸一班長の発声で万歳三唱が行われ、予定の15時に無事終了した。     


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第45回名幼会総会  総会写真へ
 平成17年10月29日(土) 霞ヶ関:東海大学クラブ

第45回名幼会総会は、幹事の45期のご努力によって、定刻の11時から、約110名が参加して盛大に開催され、45期東海林さんの司会のもと次第に従って進められた。
               
今年初めて自衛隊殉職者慰霊祭に会長が列席のため、次第順序を入れ換え最初に47期榊事務局長により事務・会務報告が行われた。
連絡可能会員約730名、長塀町時代の長老会員は19期の木村竹治さん以下3名の方が百歳を越えご健在などの会員状況、普通科第34連隊での橘祭などの主な行事、会計報告等がなされた。

自衛隊慰霊祭参加の後駆けつけた山本会長挨拶では、自衛隊慰霊祭の模様、最近の偕行社の状況など、DNA的に自衛隊OBが偕行社の将来を背負ってくれることを確信しているなどの挨拶があった。

今年は記念講演には、癌を克服して講演、著作等で活躍中の絵門ゆう子氏(仙幼47期堀内好訓氏の息女)の「癌といっしょにゆっくりと」の題の講演で、難病に挫けず積極的な気持で対処しているお話に感銘を受けた。

来賓は西宮生徒監、上村班長、宮沢班長のお三人。
来賓挨拶では西宮生徒監から「凛とした日本になりたい」という主旨で、戦後反日的日本人に毒された日本を憂いたお話があった。

宮沢班長の乾杯で始まった懇談会の後、名幼行進曲、校歌を斉唱し、来年度の担当46期へ引継、万歳三唱し、午後3時半過ぎ、盛会のうちに無事終了した。

47期出席者:14名



●「橘祭」顕彰式に参列
 平成17年8月27日(土) 於・自衛隊板妻駐屯地

  「橘祭」が、橘中佐縁の陸自板妻駐屯地・第34連隊で厳粛に催行された。
 当日は厳しい残暑の中駐屯地内〈橘中佐銅像〉前で、長崎千々石の橘神社宮司中佐の令孫橘周次郎氏も臨席、厳かに式典が行われた。最後に軍歌「橘中佐」を斉唱、弔銃で顕彰式典を終了した。
 記念行事として体育館で銃剣道・徒手格闘試合の公開があり、橘祭と併せて自衛隊の身両面に渉る訓練・教育の一端を窺うことが出来た。
 名幼会関係参列者
  事務局 榊、尾崎
  静岡名幼会 青木会長46、蓬生45、深沢46、山西48、丹治49、仲野49

※ 式典に先立ち開館前であったが特別に資料室を見学させて戴いた。名幼関係コーナー(ケース)は良く整備されている。新たに展示をお願いした「明治の教育精神」―橘中佐伝―、「たちばな」合本第二巻の追加展示あり。小野寺靖駐屯地司令、吉田隆仁広報室長、資料館長等に御礼を申し上げた。(事務局 榊)

 





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●第44回名幼会総会 
  平成16年10月30日(土) 霞ヶ関:東海大学クラブ

第44回名幼会総会は、幹事の44期のご努力によって、定刻の11時から生憎の雨模様にも拘わらず、145名が参加して盛大に開催された。
総会は44期吉本さんの司会のもとの次第に従って進められた。
会の次第
黙祷
挨拶する山本会長



名幼総会模様詳細へ
会長挨拶
事務・会計報告
来賓の紹介と来賓祝辞   
各期会歌斉唱
乾杯・開宴
校歌斉唱
次回幹事期へ申し送り    
万歳三唱

来賓は西宮生徒監、上村班長、宮沢班長のお三人で、本年は従来のように来賓席を設けず、関係の深かった各期のテーブルの中に座って頂き、懇談のしやすいように配慮された。

今年は日露戦争100年の年で、名幼会としては自衛隊34連隊の橘祭、長崎県千々石の橘神社における橘軍神の百年忌と橘校長・軍神の関する行事が行われ、意義の深い年であった。
前者については榊事務局長、後者については名幼参拝団の代表43期の木村東馬さんから参加模様の報告があった。「軍神橘周太中佐百年忌祭の模様」
また本年の総会のメインイベントとして各期の「同期生の歌」の」競演があり各期夫々腕に(喉?)に撚りを掛けて競いあった。

午後2時半過ぎ盛会のうちに無事終了した。



●第43回名幼総会 

  平成15年11月11日(火)11:00より東海大クラブ
  本年は43期が幹事  会務報告は榊(新)事務局長が実施
  47期参加者 西宮生徒監殿、河合班長と同期生21名



行 事 幹事会 その他 名幼会の経緯

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名幼会幹事会

 最終名幼会幹事会

 期日:平成22年9月28日(火) 於・ロゴスキー    
 議事:

  1. 対策委員会報告
  2. 名幼会活動の総括
  3. 解散業務
  4. 名幼会会計報告
  5. 残務処理事項
  

 議事内容
 
 1..対策委員会報告
            
 ・検討した要処理案件
   @観武臺碑他旧蹟の保存推進 
   A名幼関係資料を寄贈し保存を委託:
    自衛隊板妻駐屯地広報資料館、靖国偕行文庫、
    国立国会図書館、橘神社 
   B橘神社:永代奉納 
   C終身会員基金を名幼会に寄付
   D会報「たちばな」終刊71号の特別編集合本V巻の発行 
   E会員所有の図書、史資料の提供促進 
   F小牧市に名幼校の認識と市史啓蒙工作…本件は審議過程で
    提起されたもの 
       
   @〜E  図書寄贈の一部を除き済 
   特にB橘神社
   ・遺徳館に名幼関係史料他図書寄贈
   ・境内大鳥居前の軍神橘中佐銅像(北村西望作)横に名幼会寄贈として国旗掲揚台建立
       
 ・継続案件
   @現状維持:
    警察庁、中管校の誠意期待。中管校対策は現状では進展せず。
   F名幼跡碑建立の動き:検討過程で具体化 
   ―建立費用の補助― 
    学校跡記念碑建立運動の経緯、場所選定・折衝、費用見込等
    について活動の中心の46期伊藤氏(名古屋在住)から説明があり
    費用補助の依頼あり。会計収支事項審議に付け加える。
        
  ・名幼校跡碑案の概要
   案1 県道引き込み道(警察局の所有)の一角。 
   案2 案1の県道を隔てた市有地。
   自然石で表面「名古屋陸軍幼年学校之跡」、裏面に150字程度の
   説明文 碑の規模は 高さ1.05m、幅0.7m程度。
 
 2.名幼会活動の総括 
                  
  ◎名幼会活動 
  @名幼会総会開催
   S30.6.10第1回を開催後同42年までは隔年、以降
   毎年開催し昨H21.11月の第49回グランドヒル市ヶ谷総会し
   を最後とした
  A「会則制定」 S48年総会時
  B名幼校史:S49年発刊
  C会報「たちばな」発行、合本の発行
   S48年に第1号発行以降年2回発行し71号:H22.1月をもって終了
  D会員名簿発行
   S62年初版、以降4年毎、H17年に住所録に変更した
  E橘神社:第2代校長・軍神橘中佐顕彰事業
   ご祭神の長崎雲仙千々石の橘神社:鎮座50年祭(平成2.9)、
   祭神百年忌祭(H16.9)秋季例大祭(H21.9)に参拝団参拝、
   またH22.9月の創建七十周年奉祝祭には事務局長が参拝した。
   国旗掲揚台寄贈:奉祝祭に合わす。 
   また、陸上自衛隊板妻駐屯地:第34普通科連隊の毎年8月「橘祭」に
   会長他有志参列
  F名幼関係資料の寄贈 名幼の歴史を残す意味もあり下記に寄贈   
   寄贈先:国会図書館、靖国偕行文庫、中部管区警察学校、
   橘神社遺徳館、自衛他板妻駐屯地広報資料館
  G幹事会の開催  
   年3回 開催しH22.9.28の幹事会をもって終了

  

 ◎永年参画幹事に謝意
  ○山本卓眞会長(43期―S63/4以降22年間)  
  ○S57/3の名簿掲載以降解散H22/9までの在籍幹事 
   ・山本登(43期) ・木村東馬(43期) 
   ・小島省三(43期―H17.4まで) ・今泉丈彦(44期)   
   ・三淵朗(45期―H17.4まで) ・榊龍雄(47期)
   ・松永太(48期) ・中西尚道(48期―S65/5退、H7/3再)
   ・長屋晃(49期)
  ○会報「たちばな」編集 松永太(8号:53/9新聞形式〜71号)
 
 3. 解散業務
                        
  名幼会解散挨拶状を9月初旬発送(挨拶文)
  対象:関係各機関代表者及び担当部署代表者、後援者、名誉会員、
     六幼関係者
 
 4.名幼会会計 
                      
     会計報告の一環として有志による学校跡碑建立計画の費用補助
      (費用見積:75万)につき審議し、対策委員会で決めた45万円補助を
     対策費から支出を承認。
      対策費として  
     ・小牧市工作―学校跡碑建立費補助:45万円
     ・他5万円
      を仮計上する。
     (費用不足の場合はは旧名幼会会員各位に寄付を募ることも
      あり得る)
     
     仮決算として諒承される。


 5.残務処理事項

   ◎在名有志による名幼校跡碑建立に対し、小牧市工作と関連付け具現
    のため建立費補助を対策費残より対処。
   ◎残務整理期については若干の基金プール・処理などを旧幹事会
    事務局47期が担当する。
   

  「山本会長より挨拶」 
   永い期間のご協力に感謝する。今後は各期、訓育班で伝統を
   引き継ぎよろしく。  

                                               


●平成18年10月10日(火) 

・総会の確認事項
・18年度名幼会会計報告
・対外行事への対応・陸自板妻駐屯地、橘神社への賛助につき討議


●山本会長 中部管区警察学校を訪問
 平成18年4月18日、山本名幼会長、名幼43期田中氏および榊、後藤で中部管区警察学校を訪問。
表敬と観武臺碑保存について依頼した。また「名幼校史」その他資料を贈呈した。
 中部管区警察学校小林了一校長の話「学校のルーツは名幼にあることを掲げ、大分浸透してきた。その史跡を保存してゆくことは当然の流れと思っている。受領の資料は学校の図書室へ収納する。等々」

43期田中さんの案内で岐阜本巣市・根尾谷の淡墨桜を見る。樹齢1500余年、幹回り9.1m、樹高17.2m、枝張り23m−21m


観武台碑前にて 旌忠神社跡にて 岐阜巣本市・根尾谷の薄墨桜前にて


●平成17年4月25日(月) 於偕行社

 @第46回総会計画 46期幹事より
 A中部管区警察学校訪問状況
 B各幼年校会の将来展望 一覧表配布 
  49期が幹事の総会をもって組織的な総会に区切りをつける所が多い

●平成17年1月24日(月) 於偕行社

●平成16年10月12日(火)於偕行社
 出席者:山本会長以下23名

●平成16年4月27日(火) 於偕行社

●平成16年1月28日(水) 於偕行社 出席者:山本会長以下22名


平成16年4月27日(火) 於偕行社

  ・44回名幼総会10/30 各期の歌披露
  ・「橘神社祭神百年祭」参加者 27名(47期 東京4名、名古屋4名、現地3)
  ・たちばな「合本」製作する。
 編集委員 大熊、梶、横山、松永(48期)、事務局

平成16年1月28日(水) 於偕行社 出席者:山本会長以下22名
  43回名幼会総会(15.11.11)の総括・会計報告  
     総会当日の署名「教育基本法の早期改正請願」「近隣諸国による干渉から歴史教科書を守る」の
     集計処理報告
 以上につき報告・審議がなされた。
 47期からは事務局・榊、尾崎の他 幹事・大熊、梶、横山が出席

その他

長塀町時代先輩訃報

 ・名幼会の大長老(偕行社会員で最長命)の19期(陸士34期)木村 竹治様が3月20日逝去されました。享年105歳
 ・22期(陸士37期)の石橋 茂松様が、2月20日に逝去されました。 
 
●絵門ゆう子さん逝去

昨年秋の名幼会(H17.10.29)の総会で「がんと一緒に」という演題で講演を頂いた絵門ゆう子(本名:三門裕子)さんが、4月3日逝去されました。享年49歳


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