軍神橘周太中佐百年忌祭の模様


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軍神橘周太中佐百年忌祭へ参加  −橘神社―

 明治37年8月31日に歩兵第三十四聯隊の橘周太大隊長が日露戦争遼陽の戦い・首山堡南方高地(橘山)で戦死されてから百年を迎え、平成16年9月16日、軍神橘中佐生誕の地、長崎県南高来郡千々石町の橘神社で百年忌祭が厳粛かつ盛大に斎行された。

 橘中佐を第二代校長に戴く名幼(名古屋陸軍幼年学校)は、東京・名古屋・九州の26名からなる参拝団(団長・43期木村東馬氏)を派遣して祭祀に参列し敬慕の念を捧げた。

 名幼参拝団編制の大方は47期の諸氏であった。東京から尾崎、榊、野村、横山。名古屋から後藤、鈴木夫妻、福冨。現地九州から稲田、細井の諸氏。また、偕行社、長崎偕行会、熊幼会、陸自18連隊・34連隊、地元の有志多数400余名のが参列、百年を経てなお教育者たる武人・軍神橘中佐を敬仰する老幼男女の列に日本人の心魂未だ消えずの感を深くした。

 式典最後に、軍歌「橘中佐(上)遼陽城頭夜は闌けて」「同(下)嗚呼〃〃悲惨、惨の極」を名幼会が中心となって高らかに奉献、参列者の肝胆を抉る歌声が社殿の森に木霊し、人々の胸を打った。と、祭事後列席者の感慨。                  

榊 記 

祭典模様パノラマ祭典模様パノラマ
橘周太中佐百年忌祭模様パノラマ
「橘中佐(下)」を奉納する名幼会参拝団
橘神社社殿橘神社 神主橘周次郎氏神主橘周次郎氏 剣舞奉納神楽奉納 軍神銅像 軍神銅像


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