事務・会計報告(榊事務局長):(敬語表現省略)
名幼会事務局を担当している 47期の榊 龍雄です。本日の第44回名幼総会に145名(昨年135名)と多くの会員皆様方のご参集を得て、慶ばしく存ずる。今年は日露戦争百周年、名幼会にとって満州遼陽首山堡で戦死を遂げられた名幼第二代校長軍神橘周太中佐の遺徳を偲び遺訓を顕彰する意義ある年でもある。反面、相次ぐ台風、そして新潟中部地震と災害の多い秋であり、会員で災害に会われた方もおられるのではと案じている。
名幼会の会務、会計の状況は以下のとおり。
◆名幼会会員の現状(H16.10.1事務局で把握分)
名誉会員は、武官、文官、同ご遺族、そして長塀町の先輩長老3名を合わせ57名。
観武臺時代の一般会員の在籍者929名(内連絡可能なもの740名)で合計986名。
連絡等不能の会員は189名。
連絡可能な実会員は、一般会員740名(昨年762名)名誉会員57名(65名)の797名(827名)。(昨年より30名減)
今日は残念ながらご欠席であるが、104歳になられ未だ矍鑠たるる19期の木村竹治大先輩のご長寿にあやかり、来年も元気な姿で総会に来られます様祈念しする。
◆一年間の会務、会の経過
1.日露戦争百周年にあたる今年は、名幼に在籍者した者にとって軍神橘中佐百年忌関連の行事参加が会の課題であった。
@9月4日、橘中佐が日露戦役に出師した縁の旧静岡三十四聯隊を継承する陸上自衛隊板妻駐屯地・34普通科連隊で「橘祭」が開催。
橘中佐銅像の前で、盛大かつ厳粛に斎行され、名幼会として山本会長以下10名が参列、玉串を捧げ顕彰崇敬の意を表わした。
本「橘祭」には政・官、地元静岡の有識者はもとより、遠く長崎・千々石の「橘神社」宮司・橘中佐の曾孫の橘周次郎氏夫妻、ご子息も、9/16の橘神社百年忌祭の準備多忙の中臨席参列。
[参考]
・陸上自衛隊第34普通科連隊は、旧陸軍歩兵第三十四聯隊の部隊番号をそのまま受け継ぎ、「遼陽城頭夜は闌けて……」の軍歌に詠われた橘中佐の精神「矢弾飛び交うもとでの人間愛、戦友愛、難局における献身的行動」を継承し、自称橘連隊』と呼称している。
・橘中佐銅像について
橘中佐の銅像は、大正八年二体建立され、一体は千々石村に、一体は旧名古屋陸軍幼年学校に安置された。名幼に安置された一体は軍縮廃校に伴い市ヶ谷の陸軍士官学校に移設され、さらに、昭和二年静岡第34聯隊に移されたが、昭和十九年金属回収の一環として供出、金属資源として出征帰らぬ銅像となった。 両方とも北村西望師の力作。第34連隊の一体は前述のとおり帰らぬ客となったが、昭和52年春、自衛隊34連隊(静岡・板妻)・橘中佐協賛会の手で見事復元がなり、部隊正面に富士山を仰ぐ中佐の勇姿が厳然として屹立している。
(また、板妻駐屯地内資料室に名幼関係の資料も展示して頂いてる。当方面に行かれる機会がありましたら是非訪問・閲覧されたい。) |
A9月16日には、橘周太中佐祭神の、長崎・千々石町の「橘神社」で軍神橘周太中佐百年忌祭が斎行されました。名幼会も26名の参拝団(団長43期木村東馬氏)を参列派遣しました。その詳細は、木村団長から別途報告。
[参考] 橘軍神に関連して、中佐関連慰霊碑、墓碑につき紹介する。碑文・読み下しは省略。
・名古屋・中村公園内在 慰霊碑
「篆額」陸軍大将 大島徳太郎 篆書 幅107×高さ約300×奥行き23cm
・名古屋・平和公園陸軍墓地―萬国慰霊塔 墓碑
「篆額」陸軍大将 奥 保鞏 篆書 高さ206cm
(名古屋在住の方、又所用で名古屋に行かれる方は是非立ち寄り顕彰の意を表わされたい。)
|
2.「たちばな」合本第U巻を発刊した。
軍神橘周太中佐百年忌祭参加報告(43期木村東馬さん):
橘神社は大変広い神域を持ち、立派な社殿を持っている。地域の人々の崇敬の念は厚く、近くの湾は昔は千々石湾といったが、いつの頃からか橘湾というようになった。また百年忌には立派な幟が称え並べられていたが、これらは総て地域の方々の奉仕によっているようである。また神職の方は堂々たる宮司姿の橘周次郎氏を始め10名もおられた。
式典には名幼会26名のほか、九州地域偕行会、大村16連隊、板妻34連隊の代表、大分の廣瀬神社権宮司、それに加え地域の代表、氏子など総勢400名を超えてた多数の参列者であり、盛大なものであった。
式典に続いて神楽の奉納などがあったが、ハイライトは軍歌の奉納であった。「橘中佐(上)」は地域の民間の方々も知っているので、名幼は特に望まれて「橘中佐(下)」の中心的な歌い手になった。そのため事前に48期中村勲君の吹き込んだテープで、前夜ホテルで特訓し、指揮は47期の鈴木君で見事に歌い上げた。
また祝電の中に、前中部管区警察学校長で名幼会のよき理解者であり、橘軍神に傾倒している大坪氏の名があったのは印象的であった。
詳細は「軍神橘周太中佐百年忌祭の模様」参照のこと
ページ先頭へ
「名幼会」へ戻る