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陸上自衛隊
板妻駐屯地訪問


―訪問団:名幼会―
(事務局・榊 龍雄記)
 入梅期の雨模様の6月10日、冨士の裾野にある名幼第二代校長・橘周太中佐ゆかりの陸上自衛隊板妻駐屯地(普通科第34連隊)を訪問した。同連隊は旧陸軍静岡歩兵第34聯隊の部隊番号をそのまま受け継ぎ「橘連隊」と呼称、橘精神を継承し伝統を有する精鋭部隊である。
この行事は名幼会解散を控え、「たちばな」69号でも案内した「橘軍神の遺徳を顕彰するための自衛隊板妻駐屯地訪問と橘神社参拝」の計画の一端が実現した。

 
 往復には貸切バスを利用し、参加者は43期の山本会長の他陸上自衛隊の今日の基礎を築いた第17代元東部方面総監増岡鼎陸将(47期)を含め49期まで総勢24名。東京、新宿とJR御殿場駅で合流し、11:00過ぎ板妻駐屯地到着。生憎の曇った空模様で期待した霊峰富士は姿をみせず残念であった。

            
 駐屯地広報班諸官の出迎えを受け先ず構内の「資料館」を見学する。本館は、旧陸軍・自衛隊関係などの資料が展示されており、展示内容の充実振りは自衛隊資料館の中では有数と言われてる。普通科第34連隊が橘連隊を称することもあり、橘周太中佐・軍神の遺品等資料が橘神社からの寄贈も合わせ充実している。特に旧静岡歩兵第34聯隊の遺品に往時が偲ばれる。また名幼校長だった橘中佐との関係から名幼コーナーが設けられ、我が名幼関係資料が展示されている。復校後の学校長の写真始め、大正13年3月の廃校記念帖などの名幼関係有志寄贈の諸資料に接し深い感慨を覚える。この陳列ケースは増設されており今後の資料の充実が期待されている。



 昼食は隊内の隊員食堂で隊員食を味わう。カロリーその他、衛生に留意し若い隊員の栄養面を配慮し1ヶ月単位の献立表も備えられている。かっての名幼時代の食堂・食事風景が思い出され、時代の流れを感ずる。
 広報担当官の話であるが、新入隊の隊員の一割近くが入隊3ヵ月の間に集団生活に馴染めず退隊するという。隊員の宿舎が個室で、また終末には規則正しく休みというのも驚きである。それでもなお団体生活になじめないのは、むしろ幼少の頃からの過保護の影響であろう。参加の増岡君(元自衛隊東部方面総監)が、常に嘆いている隊員の質の低下は正に覆うべくもない。


 
午後、山本会長、増岡、榊事務局長でこの4月に着任のP戸山昭臣駐屯地司令に表敬の挨拶をする。併せて名幼関係図書、資料の維持展示のご配慮に対し謝意を表した。
 折から雨は本降りとなったが再度資料館内で普通科連隊所持の小火器の性能・取り扱いなど説明を受けた。最近の兵器の実物に触れ、九九式短小銃に馴んだ往時との比較ししばし感慨にふけった。ここで集合写真を撮る

 
 残念ながら部隊の大半が隊外の富士演習地へ訓練に出かけ、あまつさえ雨天のため隊内で実施する訓練などは見学することが出来なかったのは残念であった。隊内売店PX(酒保)を見聞する。 隊特製のオリジナル葡萄酒、ゲームコーナまた住宅建設相談まであり、市中のコンビニ風にの多様化された販売品に時代の流れを感じた次第である。
 14時30分広報官各位の見送りを受けて板妻駐屯地を後にした。帰りは逆コースでJR利用者は御殿場で解散、他は帰路途中にある御殿場プレミアム・アウトレット見学の提案があり立ち寄る。この頃は雨も上がり、宏大な東西に分かれたゾーンの一部を見学(実際はテナント店の前を素通り)し、16時過ぎ無事最後の到着地:新宿に帰着、解散した。お疲れ様でした。

 
☆当日の参加者 計24名
43期:山本会長、木村    45期:荒井、保田、安田 
46期:小野、中島、世取山
47期:浅井、井上、今村、上之門、梶、川井、榊、三溝、野村、
    増岡、水越、山本、横山 
48期:松永、中西      49期:長屋