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旌忠神社跡と 鎮座祭 |
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旌忠神社碑 一現在は旌忠神社跡に学校のご好意で石柱を表示−
平成11年3月吉日愛知県護国神社名誉宮司岩本典三郎謹啓
昭和16.2.12旌忠神社落成同日18時50分より鎮座祭祀を行うと名幼校史に記す 『旌忠神社』由来 旧名古屋陸軍幼年学校はは明治30年9月設立、爾後二十有四年、一千二百名余の卒業生を輩出したが、軍縮で大正12年3月31日第24期生の卒業をもって廃校となる。昭和14年4月43期生の入校をもって復活(東京幼年学校西分校として)、翌昭和15年3月勅令第89により正式に復校、愛知県東春日井郡篠岡村下末の新校舎(現中部管区警察学校所在地)に移転した。茲において職員生徒よりなる名初会は、校域に本神祠を建設し名幼校関係靖国の英霊を奉祠し、名幼校先輩の忠魂を慰霊、顕彰し生徒教育に資するため建立した。
社号を旌忠と奉称する。一戦没した先輩の英霊の忠勲を萬代に旌奉するの意を採ったったもの一
当時の軍・官・地元村民各位の絶大なご後援を受けたと記録にある。 祭神は名古屋陸軍幼年学校出身の日清、日露戦役戦没者・陸軍少将堀又幸外四十五柱で、その忠魂を祭る 昭和20年8月、終戦により同27日在校生徒の復員当日、14時から旌忠神社祭を挙行、と名幼校史に記録を留める。祭神の御霊は愛知県護国神社に合祀されたと聞く。どう云う形で遷宮されたかは未詳である。