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観武臺碑
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観武臺碑  志之丘上一標高73.9m−)
観武臺』碑の由来
   

復校した年の昭和15年11月20日、当時の宮家・梨本宮守正王殿下が台臨(来校)され、学校の丘・篠岡台を『観武臺』とご命名された。翌昭和16年1月11日に閑院宣載仁殿下が台臨、「観武臺」の御染筆を(揮毫)寄贈される。一現観武臺碑の刻字−

注:xx臺(台)の呼称は、将校生徒諸学校の学舎の呼称で、かつ象徴的名称。「観武臺」と言えば「名古屋陸軍幼年学校」と同呼称でもあった。

  碑裏面に

   昭和十五年十一月二十日 
     梨本宮守正王殿下御台臨乃際賜御命名

   と刻まれている。

注:陸軍予科士官学校…振武台  陸軍士官学校…相武台  陸軍航空士官学校…修式台

碑は廃校解散時(S20年8月)、丘の中腹に埋められたが、機を待つこと久しく、中部管区警察学校当局の絶大なご理解とご後援のもと、旧学校関係者の努力が実り、昭和43年6月碑を掘出し、昭和47年11月現(元)の位置に再建立された