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「偕行」平成20年新年号掲載



 海 行 か ば 考

西宮正泰 53期


まえがき

 61期全国総会に招かれ、久しぶりに富山県高岡市を訪れた。士官学校最後の生徒、意気軒昂、400名を越える盛会に感激した。
高岡の海寄り射水市(いみず・旧新湊)が筆者のふるさとであり、大伴家持ゆかりの地。この機会に、家持が「海行かば」を作詞した経緯について述べてみたい。


万葉の里

 この地方は古代より「射水郡」と称し、越中4郡(射水、砺波、婦負、新川)の政治の中心地であった。なお家持の時代には、越中には能登4郡(羽咋、能登、鳳至、珠洲)も併合統治されていた。国庁は海岸の高台(伏木)にあった。
注:能登国は天平13年(741)に越中国に併合、天平勝宝9年(757)再び分離された。

 万葉集の作家であり編者として知られる大伴家持が、1261年前、天平18年(746)に29歳で越中国司に任じられ、少納言に昇進し帰京するまでの5年間在任し、その間に生涯の歌の半分近い223首を越中時代に詠っている。国庁のあった伏木の近くを射水川が流れ、渋渓(しぶたに・雨晴海岸)や奈古の浦(なごのうら・旧新湊)は景勝の地。夏にも純白の雪を輝かせる立山連峰を望み、釣り舟や舟歌を歌い行き交う舟人など、家持の詩情をかきたて多くの歌を残している。 当時から奈古の浦は漁村(現在も漁業中心地)であったらしい。平成の合併でゆかりの名称「射水市」となる。因みに明治時代、伏木は新湊町の一部であった。なお万葉集にしばしば詠われる「奈古の江」は現在の富山新港である。


万葉集と大伴家持

 万葉集はわが国最古の歌集である。作者は天皇から庶民に至るまで多様。7世紀から8世紀半ばにかけての130年間の作品であり、時代に生きた人々の息吹が生き生きと感じられる。正にわが国の誇るべき文化遺産である。
 因みに万葉集の歌は全20巻総数4,416首、うち越中関係が332首。また家持の歌は473首あり、越中時代の作が実に223首に及ぶ。特に巻十七、十八、十九は家持の越中在任中の旅日記とさえ言われ、多くの人々の心をとらえている。


家持「海行かば」作詞の経緯

 先ず興味を持っていただくため、その部分を原文で記してみた。
   
   海行者美都久屍 山行者草牟須屍 大皇乃
   敞尓許曽死米 可敞里見波勢自

 
注:当時は現代仮名がなく漢字の音訓で表し、所謂「万葉仮名」を巧みに用いてい当時の漢字の知識の高さが窺われる。

 天平勝宝元年(749)5月、都から使者が到着し「2月陸奥の国で黄金が産出され、聖武天皇は大変喜ばれ臣下を集め詔書が発せられた。天皇がその詔書の中で、大伴氏の祖先の功績に触れ、「海行かば」の家訓までも引用し益々の忠勤を求められた。家持は感動に身を震わせて筆を執ったのである。

 天平感宝元年五月十二日、越中守の館にて大伴宿禰家持作れリ。
 陸奥国より金(くがね)を出せる詔勅を賀(は)ける歌一首併せて短歌 (巻十八 4094)

葦原の瑞穂の国を 天降り 領(し)らしめける 皇御祖先(すめろぎ)の神の命(みこと)(ニニギの尊)の御代重ね 天の日嗣と領(し)らしける君の御世御世 敷きませる (中略)
大伴の神祖(かむおや)のその名をば大来主(おおくめぬし)と 負いもちて仕えし官(つかさ)(天皇に仕えた) 
 
  海行かば 水漬く屍 山行かば 
  草蒸す屍 大皇
(おおきみ)の 
  辺にこそ死なめ かえり見はせじ
 

と言立(ことだて、大伴家の家訓) 丈夫(ますらお、勇敢なる男)の清きその名を いにしえよ今の現(うつつ)に流さへる(昔から今に伝えてきた)祖(おや)の子どもぞ 大伴と佐伯の氏は(後略)


信時 潔の作曲

 昭和12年政府の国民精神強調週間が制定された際、そのテーマ曲としてNHKの依頼により作曲された最高傑作である。
 本来は戦意高揚に制定された曲であるが、この曲を大いに印象づけたのは、戦争末期に大本営発表の際、玉砕のテーマ音楽に用いられたことにある。昭和18年12月文部省は、この歌を儀式に用いることを決め、「君が代」に次ぐ準国歌の役割をした。
 信時は、牧師の子として大阪に生まれ、東京音楽学校で作曲を学び、ドイツに留学、のち母校の教授となる。賛美歌で育ち、ドイツ古典音楽を学び深く愛した信時らしい、全体的に緩やかなテンポの荘重かつ荘厳な曲で、よく鎮魂の大任を果たしたと言えよう。


家持の歌の一部紹介

  渋渓(しぶたに)の崎の荒磯(ありそ)によする波 
  いやしくしくに古(いにしえ)おもほゆ  (巻十七 3986)

  立山に降りおける雪を常夏に 
  見れどもあかず神からならし  (巻十七 4001)

  東風(あゆのかぜ、越中の方言)いたく吹くらし
  奈古の海人(あま)の 釣りする小舟漕ぎ隠る見ゆ  (巻十七 4017)

  春の苑(その)紅にほふ桃の花 
  下照る道に出立つ乙女  (巻十九 4139)
 
  朝床に聞けば遥けし射水河 
  朝漕ぎしつつ唄う船人  (巻十九 4150)
 

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