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阿部 繁君を悼む
                                
 前島 義章
 終戦(敗戦)のあと一〜二年心のなかは空っぽで過ごしていた時、今の言葉ではトラウマとでも言うのであろうか。そのころ二十一年か二十二年頃か、用事のため、福島県郡山市に出向いたおり 阿部君(当時藤田)を訪ね懐かしい一時を過ごした。その時の様子はすっかり忘れているが、阿部君に元気づけられてそれ以後漸く敗戦から抜け出すことができた。

 そして小生は山形・福島・仙台へ、阿部君は東京へと。再会することもなく四十年余過ぎた。その間も同期生の集いに出席を誘われたが欠席を続けていたが、いつだったか「夏の集い」に漸く参加したとき、迎えてくれた阿部君の笑顔が今でも忘れられない。「よく出てきたね」の一言がすごく嬉しかった。毎年の年賀状は絵文字の楽しい文がカラーで書かれていて正月を楽しいものにした。それが去年から普通の印刷されたものとなり寂しく一日も早く病気の回復を祈り再会の日を待ったが・・・。
 ご冥福をお祈りします。


   

不朽の大作
『名古屋陸軍幼年学校第47期生写真集』
 ありがとう


 四十七期生 一同 

 192頁に及ぶ写真帖(B4版大)である。幼年学校の沿革から、47期入校時以降終戦に至る記録写真、当時の学校環境から終戦後の経歴写真と在校時の写真対比等々、名幼47期生の歴史そのままの写真集である。本業の傍らと云うか相当な犠牲を払い心血を注いだ労作である。(S62年8月製)

 今繙きながら在りし日の面影を偲び、改めて御礼とともに惜別の念鬱鬱たるものがある。ご冥福を祈ります。