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追  悼

たちばな69号 H21.4.10

 

学界の重鎮金融論泰斗 原 司郎氏
 原君は名幼での最初の友であった。入校時、最後尾のチビ2人として机を並べた。原君は元来頭脳明蜥のうえ勉強家で、学科成績は3年生の終戦に至るまで飛びぬけて優秀だった。体操や教練の術科は私同様あまり得手でなかったようだ。

 戦後、東大経済学部さらに大学院を卒業し、ひたすら学究の道を進んだ。教授、学部長、金融制度や行政に関する政府調査会委員等々として華々しく活躍中であることは仄聞していた。退官後も横浜市立大教授、高千穂商科大学長等、わが国経済学界の重鎮、金融論の泰斗として大をなしておられたが、去る8月、訃報記事を目にして驚愕した。7月30日肺炎のため逝去、79歳であった。

 通夜、告別式の追悼する言葉の数々では、学生の研究指導や就職の世話に親身を以て当たり、明るい人柄もあって大物、名物教授として尊敬を集めていた。式上、故人の業績と人柄を偲ぶDVDの上映があった。冒頭、名幼入校時の可愛らしいKD姿が映し出され、人生の出発点が名幼にあったことが熱っぽく語られて参列者に感銘を与えていた。栴檀は双葉より芳しかったのだと更めて感動させられた。(横山房郎)



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築地本願寺の門徒総代
  前川 和義氏

 残暑厳しい9月初旬であったか、電話したところ「夏の食当たりか寝冷えでしょうか下痢収まらず、検査入院中で一週間もすれば退院しますよ」との夫人の言葉。その後、連絡があり順調な経過と思っていたが、10月22日の訃報に愕然、一瞬言葉を失った。一昨年の胆石手術後は体調も回復し、昨年の47期担当の名幼総会では穏やかな名司会で大役を果たし、月例会などでは杯を酌み交ねし合い、何かとアドバイスを受けた惜しい友を送ることになろうとは。

 公認会計士会の重鎮として太田昭和監査法人代表社員を歴任、信望厚く築地本願寺の門徒総代の重責を担っていた。またボーイスカウト日本連盟で青少年の育成にも携わり、役員として青少年を穏やかに包み込む人柄は、同期でも傑出した友であった。

 名幼では、自己顕
示の強かった強者共の中で、自然体の君は一目を置く存在であったことが記憶に蘇る。戦後は世話人(拡大)月例会、同期生会のどの会合でも接する機会も多くなり、助言を受けることもしばしばで頼り甲斐ある友人だった。脳裏に君の温顔が去来する。(榊 龍雄)

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