追 悼
たちばな68号 H20.9.1
五十嵐博君を悼む 五十嵐 博君
今年に入って君の訃報を聞いた。君への追悼文を書くのが果して適任かどうか、自信が無いが今ここに君の冥福を祈りながら書く。
幼年学校時代どういうものか、私は君と相性がよかった。育ちの環境が余りにも違っていたからかも知れない。無二の友達だと思った。仏語学習を通じてそうなったように思う。
戦後東京の大学に入った私は、夏休みの帰り君の家に寄り一泊し、京都嵐山にキャンプし川で泳いだことがあった。当時東京―鹿児島間の列車の旅は長く、つらい。君のいた大阪辺りでくつろがして貰ったのは有難かった。
その頃大阪商大生だった君は既に都会的センスに満ちていて、鹿児島の田舎に育った私には君のあらゆる挙動がまぶしく見えたことを今も覚えている。
仏語学習はその後私には何の役にも立たなかったが、君は何とそれを物にしたらしい。仏語だけでなく英語も、ドイツ語も、スペイン語迄も。
海外旅行が趣味と言う君は去年の春迄元気に旅行されたと聞いている。あの少年期の都会的センスの持主は遂に一流のコスモポリタンに育ったのだと思った。
我々ももう歳だ。これから櫛の歯の抜けるようにポツリポツリと確実に死んで行く。私の番もいつかくる。冥土の里で又会おう。その時世界の諸事情のウンチクを傾けてほしい。(上之門 三郎)