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追  悼

たちばな66号 H19.9.1

  

 新天地での梨作り一筋 高橋 茂雄君
 
 好漢高橋茂雄君が去る5月20日前立腺癌のため急逝され、22日に葬儀を滞りなく済ませた旨のお便りが夫人から寄せられました。1年前に末期癌との診断をうけ、通院加療を続けていたが容態が急変し、入院3日間で安らかな眠りにつかれたとのこと。
 
 高橋君は京都に生まれ育ち、府立5中から名幼に入校し、3訓5寝の仲間が「お公家さん」と呼んでいたように、端正な風貌は絵になる将校生徒そのものでした。 終戦は、我々の人生に大転換を迫りましたが、彼の場合はその最たるものの1人であったと思います。京都市内で事業をされていたご両親が、戦争の激化により家業の転換を余儀なくされ、同時に住いも鳥取県名和町に移されたと聞きました。離校後は、進学か家業かで大分悩んだようで、何度か揺れる気持ちを手紙で届けてきました。結局家に残るご両親(兄上は日本石油勤務。姉上は大阪の医師に嫁ぐ)のことを考えて進学を断念し、二十世紀梨の生産に一生を捧げる決意を固めました。
 
 山陰の荒他の開墾から始めた農業でしたから、当初は難儀を重ねたそうです。しかし、元来努力家で勉強家の彼は、従来の農法にあきたらず、改良を重ねて品質の向上に斃れるまで努力してきました。その努力が同業の人達にも認められて名和町農協の要職につき、名実共に名峯大山の麓に高橋家の礎を築きあげました。
 
 一昨年の離校60周年記念行事「観武臺と伊勢神宮を訪ねる同期生会」が、高橋君との再会最後の旅となってしまいました。この計画が伝わると、何故か再三にわたって参加を促す便りをもらいました。旅の途上幾度となくつぶやいた「これが最後の出会いになるなあ」という君の言葉が忘れられません。
 
 君は、終生国の将来を想う熱血の人でした。同時に、優しい家庭人でもあり、再会の度にまた娘が1人増えたよと苦笑していましたが、4人の息女を嫁がせ、お正月にはお孫さん達に囲まれた君の幸福な顔が浮かんで参ります。(有竹 雅夫)


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 誠実に生きた県庁職員 加賀 雅志君
                 
 根がマメで、福島県庁職員として誠実に生きてきた加賀君。総会には必ず奥様と一緒に出席する常連だったが、ここ両三年、顔を見せていない。賀状に「今年は出席します」とあったので、久しぶりに会えると楽しみにしていた。年明けて病を得、再会の日を待たずに急逝するとは。さぞ心残りであったろう。
 
 3訓1寝でともに故安本さんの指導を受けた。小柄で甘えたような喋り方をする彼と、よく飯盒炊爨に出かけた。薪を集めて飯を炊く。おかずは何だったろう。食後は声をはりあげて号令調整、そして山野跋渉。明るかった少年の彼と半世紀以上のつきあい。あの声をもう2度と聞くことが出来ない。

 安達太良などに登った私が、フルーツラインを通って駅に出たんだと話すと、なぜ寄ってくれなかった、福島の果物はうまいんだよと、仙台育ちの加賀君が自慢をしていた。あの笑顔が忘れられない。君のみたまに合掌。(大熊 昭三)

 そして
  いまひとたびの
    逢ふこともがな。
                     

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      よく通る声 素敵な笑顔 八島 啓君

 八島君といえばパッと思い浮かぶのは、あのよく通る元気な声である。「八島啓遅れました!」という声を聞かせずに、ひと足先に逝ってしまったのは返すがえすも残念でならん。 

 昭和62年阿部君の編集で完成しか47期の写真集を開くと、八島君の写っている写真も数葉みつかる。この写真集は我々名幼47期生仲間の貴重な宝でもある。

 昭和16年12月8日、日本は米国を相手に宣戦を布告した。私はまだ12歳の若者だった。翌春、中学に進学すると共に将来の軍人をめざして陸軍幼年学校を志願し難関を突破して名古屋陸軍幼年学校の1年生となった。ここは全国から集まった軍人の卵の集まりでもあり、厳しい教育と訓練の連続だった。終戦の時は3年生に進級していたが、敗戦の憂き目を背負って中学4年に戻った。この3年間、寝食を共にした仲間というものは、何十年経っても忘れ得ぬ友人なんだとつくづく思う。
 
 私が静岡薬科大学から福岡の第一薬科大学に呼ばれて来福したのが昭和43年だったから今年で39年目にもなる。この間に八島君はじめ福岡在住の同期のお世話になりながら少しずつこちらの風土になじんで来た。初めて九州の地を踏んだ私にとって、同期の仲間の存在は極めて心強く感じたむのであった。 
 
 八島君は県職員として西福岡財務事務所に勤務しておられたが、寄せていただいた彼からの好意は忘れることができない。また「サンデー毎日一億人の昭和史」に掲載された名幼正門前の6名の写真の中に、八島君の素敵な笑顔が見られる(写真集のP113)。今やらの底から氏のご冥福を祈るばかりである。(細井 正春)



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