第3学年
昭和20年4月1日〜20年8月27日
3年進級 | 100キロ行軍 | 運動会 | 家屋解体 | 野営演習 | |
土肥原教育総監 | 滑空訓練 | 傳 単 | 山地訓練 | 復 員 |
昭和20年(1945年) | ||
4.1(日) | 49期入校式(247名) 第3学年に進級 幼年学校生徒現役に編入 (名幼部隊名:導203部隊)納付金不要となる |
49期、48期への模範生徒下表のとおり |
選出元 | 派遣先 49期へ | 派遣先 48期へ | |||||||
1寝 | 2寝 | 3寝 | 4寝 | 5寝 | |||||
一訓 | 49期 一訓 |
中原安治 | 福地良輔 | 山之口皐郎 | 佐々木英治 | 山西能夫 | 48期 一訓 |
谷萩聖造 | 二三四長次 |
49期 二訓 |
桑原行雄 | 小川耕二 | 池野洋一 | 渋谷良次 | 小松国男 | 48期 二訓 |
井ノ本忠夫 | 池谷真司 | |
二訓 | 49期 三訓 |
栗原平八郎 | 奥脇文彦 | 島川勝文 | 中西久二 | 田村博男 | 48期 三訓 |
大熊昭三 | 新実善造 |
49期 四訓 |
市木英男 | 松本正久 | 成田 昭 | 中北 衛 | 大道文夫 |
4.24 〜 27 |
野外訓練(通称100q行軍) | 経 路 | |
4.24 | 多治見方面行軍 露営:欠簗 |
定光寺・虎渓山・ 多治見・芹生田・ 柄石峠・美佐野・ 茎立峠 |
|
4.25 | 行軍 民家宿営:町屋 |
||
4.26 | 遭遇戦 強行軍 演習 民家宿営:美佐野 |
||
4.27 | 強行軍(40q) 帰校 |
5.5(土) | 春季運動会 二運優勝 |
5.7〜9 | 名古屋市内で強制疎開家屋取り壊し作業(観武臺地下壕構築用材に活用) |
5.10(木) | 現役編入に伴い、生徒に4月分俸給として5円50銭支給 |
5.15(火) | 終日防空作業(防空壕掘り) |
5.21〜29 | 野営演習 高師原 豊橋第一予備士官学校に宿営 不発爆弾処理中爆発 |
5.31(木) | 土肥原教育総監視察 |
6.16〜20 | 滑空(グライダー)訓練 木曽川起町河原 国民学校宿営 |
6.24(日) | 米機伝単を撒く |
6.25(月) | 沖縄守備隊玉砕 |
7.6(金) | 非常呼集 4時 「敵落下傘部隊降下を想定し、独立大隊編成基づいた遊撃演習」 49期漆畑金平虫垂炎経過不良で死亡 校葬 |
7.18〜22 | 山地訓練 紀伊山地縦断 吉野神宮−(桜花壇泊)−奥の千本・大峰山−(柏木泊) −大台ヶ原(雨中登山)−(同山頂宿坊泊)−(下山)尾鷲−(尾鷲泊) |
三年生山地訓練のこと 萩田 威
七月十八日(水)
午前二時起床。三時に学校を出発したが名鉄が途中遅延して予定の列車に乗り遅れ、やむを得ず列車を変更、満員の列車で吉野神宮駅に到着したのは十三時であった。昼食の後吉野神宮、村上義光の墓、蔵王堂、行宮跡へ。蔵王堂では、吉田定房卿の第二十世孫博光氏にお会いし定房卿の墓に参詣した。あと吉水院、勝手神社に詣うで、この日の宿「桜花壇」に背嚢を降ろして如意輪寺を訪れた。
七月十九日(木)
登山姿も物々しく宿を出発、大峯山(山上岳1,720米)へ。水分神社、金峯山神社に参詣してから奥の千本を通って登山を開始、岩をよじ登り、鎖を伝って頂上に到着したのは昼過ぎであった。大峯山寺で眼下の景観を眺めながら昼食をとった。午後は下り道、絶壁の上を通り、森を抜けて、宿泊地柏木に到着した時には十九時を過ぎていた。
七月二十日(金)
一雨降りそうな空を見ながら大台ヶ原山(1,695米)に向かって出発、果たして昼前からポツリポツリと落ち出した。吉野川の上流で飯盒炊事の後、雨の中を登山、途中銀嶺水・金明水等の清水を飲んだり、腐った丸木橋に肝を冷やしながら、登りづめの道を行き、夕刻漸く大台教会に到着、この夜はお堂の中で仮眠した。
七月二十一日(土)
目を覚ますと雨の上に風も加わり荒れ模様の天気であった。七時半天幕をかぶって出発、余り人が通らないためか道が草にかくれて居り、その上雨で道が川になり深いところは三十糎位ある始末、その中を濡れながらの下山となった。途中、雨の中で立ったまま昼食したが、その頃から雨も小降りとなりやがて雨も上がって、峠から太平洋を見下ろしたときはホッとした気分であった。しかしそれからが遠いこと、目的地尾鷲に到着した時は夕方も大分暗くなってからであった。町の人々が三里も先から出迎えて呉れたのには大いに元気づけられた。宿で靴を脱ごうとしたら足がふやけ、靴が水で締まって仲々ぬげなかった事は思い出される方も多いと思う。
七月二十二日(日)
列車で帰校。
8.4〜11 | 47期夏期休暇 本土決戦に向け家族とのお別れ (49期:7.23〜8.1 48期:7.21〜8.4) |
8.13(月)〜 | 観武台下に地下壕建設開始(完成まで1ケ月の予定) 訓育班長として見習士官着任 47期:柴田、増田、佐藤 48期;加太、米須、藤松 49期:津金、無着 |
8.15(水) | 正午玉音放送 夕方終戦を知る 8.16 非常呼集 8.17 教科書、手簿、写真等焼却開始 8.16〜26 兵器、被服等返納 学校解散の準備 8.16 8:30校長訓話 10:30水泳 夜最後の学年談話会 |
8.27(月) | 学校解散 正午会食 14:00 旌忠神社祭 15:00 復員式 17:00 離別式 (略帽、外被、夏衣袴、背嚢、雑嚢、水筒、毛布1枚) 校門退出・帰郷 |