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第二次世界大戦謀略史の―端

----東京裁判史観の崩壊---

平成21年8月27日
     中山 隆志

◎「ヴェノナ(VENONA)」の衝撃
 1995.7.11、米国CIA本部において「ヴェノナ」公開のセレモニーが行われた。「ヴェノナ」とは、米国で活動するKGB(ソ連国家保安委員会)とGRU(ソ連参謀本部情報総局)のエージェントとモスクワの本部間の暗号電信を傍受し、1940〜1948年の電信の解読を1943〜1980年まで行ったプロジェクト名である。
 これによると、ソ連情報工作のエージェントは、@政府高官を含む米国人及び米国居住者349名、A外国人の米国一時居住者33名、B「ヴェノナ」以外で識別された米国人及び米国居住者139名、以上計521名。この内本名を確定できたのは329名、暗号名のみの者192名である。別にC米国人及び居住者でソ連情報機関の情報源としてターゲットとされた者24名、この他に外交官等の形のソ達人工作員が多数いたのは当然であって、上記の中には入っていない。ただし、最も重要な@で、本名が確定できた(公表された)のは約半数で171名となっている。
 「ヴェノナ」の解読電信は約3000通、この解読電信コピーはNSA(国家安全保障局)のホームページで公開されており、いつでも閲覧し、ダウンロードすることもできる。この重要なプロジェクトは、米陸軍通信定法機関で着手し、戦後統合参謀本部指揮下の米国軍安全保障局を経て連邦直轄のNSAに引き継がれてきた。





◎マッカーシーは正しかった

 1950年代に米国下院非米活動委員会とともに上院政府活動委員会常設調査小委員会委員長として、共産党員等を告発したジョゼフ・7ッカーシー上院議員は、民主党リベラル左派やこれに同調するマスコミ等によって、根拠のないデマに基づく進歩派弾圧に狂奔する極悪人、マッカーシズムとして批判、攻撃されたが、その指摘は殆ど全部正しい告発だったことが確証された。
 アメリカ共産党は、民主的体制下の批判勢力などではなく、組織的にソ連の諜報謀略工作の一翼を担っていた(スパイ活動の道具として行動した)こと、そのまわりに、スパイ活動が行われていることを知りながら、彼らを擁護する進歩的と称するジャーナリスト、知識人等がいた。ルーズヴェルト、トルーマン政権の間に、連邦政府の中に多数のソ連のスパイ、工作員が、それも高官(財務省次官補ハリー・ホワイト、国務長官上席補佐官アルジャー・ヒス、中国問題担当大統領特別補佐官ロークリン・カリー等々)を含めて潜入していたことが、明確に実証された。
 このため、彼らが核兵器製造に関する国家機密漏洩や、米国の重要政策を捻じ曲げ、容共的親露・反日親中政策をとらせ、日米戦争に向かわせ、戦後にかけて共産主義の勝利に貢献し、日本敗戦後の占領政策にも影響を与えたことが確認された。





◎ 暗号解読は国家の命運にかかわるため長<秘匿される
   一一歴史の真実解明には時間が必要
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・英国コヴェントリー市壊滅の悲劇の陰に1940年11月、英軍によるドイツのエニグマ暗号解読情報ウルトラ(ULTRA)が進んだお陰で、ドイツ空軍が有数の工業都市であるコヴェントリーに対し、ハインケル爆撃機509機の大編隊をもって空襲を加えるという命令を解読できた。対応行動を取る時間はあったが、防空能力の強化も、警報の早期発令も、避難救急準備も一切の処置をとることを、チヤーチル首相自ら禁じた。そして、コヴェントリー市街は壊滅し、多数市民が死傷した。
ウルトラを失う危険を冒せなかったからである。
・「ジノヴイエフ書簡」をめぐる偽造の宣伝
 1924年9月、コミンテルン議長ジノヴィエフから英国共産党に決起の準備を促す秘密指令が送られたことがマスコミに報道された。折からの総選挙においてこれを活用した保守党が勝利した。その直後から左翼、進歩派知識人らが偽造文書であると唱え、それが歴史上の事実と定着してしまった。実際は、英国情報部は既にコミンテルンの暗号通信を解読しており(マスク=MASK)、マスコミにリークして危険を警告しようとしたのである。
 その後左翼勢力にいかに偽造と宣伝されても、解読の事実を公にしなかった。 50年を経た1970年代になって英国の諜報史家クリストフアー・アンドリューがこの書簡が本物であったことを実証した。
・王冠を捨てた恋は嘘だった!?
 英国王エドワード8世は、1936年に在位1年足らずで退位して米国人シンプソン夫人と結婚し、王冠を捨てた恋として記憶されてきた。ところが、シンプソン夫人は、ナチス・ドイツのヒトラー腹心のリッベントロップ外相と愛人関係にあり、英国の機密情報をナチスに流し続けていたという(『ガーデイアン』2006年6月29日)。このことは米国FBIの捜査資料でも明らかにされているという。英国政府首脳らはこれを承知していて、反対したのは夫人の離婚歴ではなかったということである。王様は?





◎日本に重大な被害を与えたエージェント
・リヒャルト・ゾルゲ(1895-1944)
 フランクフルト・ツァイトウング紙記者を隠れ蓑として、尾崎秀実と連携、重大な秘密情報をソ連に流し続けた。尾崎を通じて日本の進路決定にも影響を与えたかも知れない。 1944年11月日本で刑死。
・ハリー・デクスター・ホワイト(1892-1948)
 米国財務省を根城に網を広げ、財務次官補の地位にまで上り、モーゲンソー財務長官を通じルーズヴェルトに影響力。政府内エージェントの最高位者でハル・ノートの起案者。戦後1948年非米活動委員会に出頭後、自分の農場で心臓発作で死亡。ヴェノナによりソ連のエージェントであったと確認された。
・アルジヤー・ヒス(1904-1996)
 国務長官の上席補佐官として国務省の方針施策をソ連の有利な方向に導くよう働いた。ヤルタ会談に国務長官の首席補佐官として随行し、ソ連に有利な戦後体制の形成に貢献した。その後国連憲章起草その他で活躍したが、1949年非米活動委員会の査問で偽証を行った廉で裁判の結果約4年投獄された。死ぬまでスパイ活動への関与を否定し続けたが、ヴェノナによりソ連のエージェントであったことは明白であった。
・オーエン・ラティモア(1900-1989)
 ジョンズ・ホプキンス大学からルーズヴェルトの指名により蒋介石の特別顧問として重慶へ、後、戦時情報局等。日米交渉妥結の可能性に危機感を持ち、中国共産革命を可能にするために日米開戦実現に努力。氏名を確定する史料は公表されていないが、ヴェノナの総合的研究によりソ遮エージェントであったことは確実とされている。

・ハーバート・ノーマン(1909-1957)
 カナダ人。ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに留学、英国共産党に入党。このカレッジはまるでエリート・スパイ養成グループであるように、ここからMI5やMI6にもぐりこんだ二重スパイ、「もぐら」が多数いた。「カナダ・中国人民友の会」書記となり、中国共産党員と連携、反日親中国(共産)となる。
 戦後、ラティモアの推薦でGHQのG2対敵防諜部(CIC)の調査分析課長となり東京に来る。マルクス主義憲法学者鈴木安蔵に左翼知識人を糾合して(天皇制排除の)民間憲法試案を作らせる。その内容は、後に出るGHQ憲法案に極めて似ていたといわれる。
 戦犯指定と公職追放の直接責任者として、反共のオールド・リベラリストらを数多く追放し、自主憲法制定に動こうとした近衛文麿を除去すべく戦犯調査の権限を乱用した。
 彼が接触した主な日本人に、南原繁、木戸幸一、米国共産党に入党したとみられる都留重人や石垣綾子、西園寺公一等がいる。後いわゆる赤狩りの追及を受け、1957年に自殺した。ソ連のエージェントであったか否かは公表されていない。彼らの過激な行動阻止に努めたのは、GHQ情報部長チヤールス・ウイロビー少将であった。

・ロークジン・カリー(1901-1993)
 若くしてノ匹ズヴェルト大統領の中国問題担当補佐官を務め、オーエン・ラテイモアを蒋介石の特別顧問に推薦し、お互いに連携してそれぞれ大統領と蒋介石に働きかけ、日米開戦を決定的にした。これはドイツの攻勢に喘ぐソ連と中共の利益になるものであった。カリーがソ連スパイであったことはヴェノナで明確であった。
 戦後は追及をかわして、1952年南米コロンビアに移住し、米国籍を放棄した。





◎中国革命に多大の貢献をした3人のアメリカ人(3S)
・エドガー・スノー(1907-1972)
 延安を訪ねて書いた『中国の赤い星』は世界的ベストセラーとして世を風扉した。世界のインテリ層や若者に与えた影響は計り知れない。彼はその後も『アジアの戦争』『今日の赤い中国』を書いたが、いずれもプロパガンダ本であったことは、近年公開された各種史料でも明らかである。夫人によれば、スノーは晩年、毛沢東と中国革命に幻滅して自らの果たした役割を悔いている。夫は毛沢束に騙されていたと述べている。
・アグネス・スメドレー(1892-1950)
 日本に関して言えば、ゾルゲと尾崎秀実を結び合わせ、当初はコミンテルン、後には専ら中国共産党のためにスパイ、工作活動を通じて毛沢束の抑圧体制の確立に貢献した多岐な内容は簡単に総括できないであろう。彼女のスパイ容疑を最初に告発したのは、GHQ情報部長ウィロビー将軍であった。彼は、GHQに入り込んだエージェント排除を断行し、マッカーシーの日本版・赤狩りの右翼軍人、ファシストと非難されたが、マッカーシーと同様、ウィロビーも正しかったことが確認された。スメドレーは否認し、激しく反撃したが、その後すぐ英国に亡命した。
・アンナ・ルイス・ストロング(1885-1970)
 中国及びソ連に居住し、両国を中心に多くの社会主義的な本を書いた。中国関係は『毛沢東の思想』『中国紅筆は前進する』『明日の中国』など特に多く、スメドレーと並び中国共産党に評価されている。後期は中国に居住し中国で死んだ。





◎その他日本と世界に大きな影響を与えたジャーナリスト
・セオドア・ホワイト(1917-1986)
 ボストン・グローブ紙特派員として支那事夏期に中国に渡り、国民党中央宣伝部国際宣伝所に属し、反日機運高揚につなげる報道をし、後にアメリカを代表するジャーナリストとなった。日米経済摩擦高潮期の1985年(死去の前年)ニューョーク・タイムズ・マガジンに「日本からの危険」と題して、再び中国と結んで日本を挟撃するという論文を書いた。死ぬまで強烈な反目を通した。
・ジョン・ジード(1887・1920)
 米国のジャーナリストで活動家。第1次大戦が始まると各地の戦争報道に携わり、1917年ボルシェヴィキ革命直前のロシアヘ行き、十月革命を自ら観察し、レーニンヘのインタヴューも行い、『世界をゆるがした十目間』を刊行した。まったくのプロパガンダ本であったが、刊曜ベストセラー作家となった。その影響はスノーの『中国の赤い星』に相当する。しかし米国当局から「扇動罪」に当るとして追及され、左翼的過ぎるとして社会党からも追放され、ロシアに亡命したがチフスのため死亡した。
・ウオルター・デュランテイ(1884-1957)
 ニューヨークタイムズのモスクワ特派員として、第1次5ヵ年計画中の農業集団化のためにウクライナで数百万人が餓死しているのを知りながら、工業化と農業集団化の輝かしい勝利を伝え続けた。デュランテイは後にピュリッツアー賞を受ける。これだけによるわけではないが、ルーズヴェルト政権の誕生、米国によるソ連承認に影響したかも知れない。


◎『マオ 誰も知らなかった毛沢東』
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日本人にとって興味深い記述2点ーー

・張作霖爆殺
 ソ連情報機関の資料から最近明らかになったところによると、実際にはスターリンの命令に基づいてナウム・エイティンゴン(のちにトロッキー暗殺に関与した人物)が計画し、日本車の仕業に見せかけたものだという。ただし、この引用元のコルパキデイとプロホロフ共著『GRU帝国(1)』に明確な史料は示されていない。しかし、英国M12c(陸軍情報部極東課)の「ソ連が主役だと結論した報告書」もあるという(中西輝政論稿『Will』09.年1月号)。

・第二次上海事変拡大の実行者は「モグラ」だった張治中将軍
 張暗中が、蒋介石の許可なしに大山海軍中尉射殺事件を起し、いかに蒋介石に訴えても攻撃命令を出さないので日本戦艦が上海を砲撃し日水軍が攻撃を始めたと虚偽の記者発表を行い、蒋介石はようやく「翌朝払暁を期して総攻撃」を命令した。一旦戦闘したところで、蒋介石は攻撃中止を命じたが、張治中は命令を無視して攻撃を拡大した。
 本書の史料の使用は必ずしも万全ではなく、また著者は日本に対する偏見に支配されているように見えるが、それならば、却って、日本に有利な記述の信憑性が増すとも考えられる。
 邦訳には註と参考文献が省略されているが、講談社のホームページで今でも英語版の付された註等を閲覧、ダウンロードできる。


むすび

◎近現代史は大き<書き換えられる時期に来ている

VENONA
MIROKhIN ミトローヒン:冷戦終末明に英国へ亡命したKGB文書課長が持ち出した文書ULTRA   第二次大戦期 英国によるドイツのエニグマ暗号解読
MAGIC    第二次大戦期 米国による日本の主として外務省、海軍の機械式暗号解読MASK     英国情報部が1920年代から続けていたコミンテルンの暗号通信解読ESHELON   現在、米・英・カナダ、オーストラリア、ニュージーランドによって運営されている
      通信傍受システム(当然暗号解読を含む)






ロシア現代史史料保存・研究センター
ロシア軍事史料館


中国の攻勢が激化している。
ロシアの先祖帰り
情報、対情報、諜報(情報工作)の施策


新しく確認された事実を取り入れて歴史を見直し、正しい歴史認識、歴史観をかたちづくっていく努力が必要

いずれも日本人は極めて不得意になっている。