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増幅される国防への憂い(要旨)


47期・増岡 鼎





 先の大戦終了後も、世界で国家単位の紛争が絶えないが、最近は宗教と民族問題、さらに資源の争奪と要因が複雑かつ激化し、どこかで事件が起これば、直ちに全世界に影響を及ぼす様になってきた。とりわけ我が国の周辺では、ロシア、中国、北鮮と、残された数少ない社会主義国家が集中し、そのいずれもが我が国と戦後の未解決の問題を抱え込んでいる。加えて最近国力を回復したロシアがグルジヤへの実力行使に踏み切ったように、時代は急速に軍事力が物を言う方向へ進みつつあるように思われてならない。
 しかるに日本は、このような変化に即応せず、依然として平和憲法と国連に頼り、さらには日米安保による米国の庇護を過信し、国の危機に対応する自衛官を減らし、予算を削減し、訓練もまともに行えないようにしているのが現実の姿である。敗戦による過度の反省から軍事を悪として遠ざけた結果が、今日のような有事への対応、危機回避の方策を探らない政治をもたらしたのであろう。
 かねてから我が国の防衛について、憂うべきは国民、就中指導者の国防意識の欠如であり、その任にあたる自衛隊としては、装備の不足もさることながら、より喫緊の問題は訓 政府は練不足にあると考えていたが、もうこれ以上看過出来ないとの思いを強くさせられている。
 自民党政府はこれまで、口では改憲を謳いながら、国民のコンセンサスが未だしとしてこれを放置し、日米安保を過信して有事法制は店晒しにし、日米ガイドラインも匂いを嗅がせるだけで、一向に実現への努力がみられない。それどころか昨年の参院戦敗北によるネジレ現象で、政権喪失の恐れを国家の危急よりも強く感じ取り、経済再建に名を借りて人気回復の施策に全てを集中させつつある。従って今後の防衛予算は、これからも削減に次ぐ削減を余儀なくされることとなるだろう。
 有事に即応するのに何よりも必要なのは、隊員の充足と訓練である。兵器の質や量は誰にしても認識できるが、隊員の質と訓練の程度は目に見えないだけに国民に理解させるのが困難だ。10年も20年も在籍しているのだから、1年や2年訓練を休んだところで問題ないだろうと考えやすいが、訓練というものは継続しなければ、その錬度はすぐ低下してしまう。加えて最近これまでの防衛任務の他に、国際貢献や災害派遣が主任務として追加された。そのための資器材についても、その訓練を新たに行わなければならない。また国際貢献に必要な要員を確保し、語学教育を含めての訓練まで必要となる。このように訓練所要は増えるのに、最近の訓練時間は反対に少なくなってきた。何故ならば、土日は休日であり、盆暮れには纏まった休暇を与えなくてはならない。そうしないと平和に慣れた日本では、隊員になり手がないというのが実情に近いのだ。だから、間口が広くなった分だけ奥行、つまり訓練の錬度が下がることになる。
 また最近防衛庁がらみの不祥事が多いのも残念でならない。とりわけ防衛機密や漏洩や汚職等、昔なら考えられない問題が多発している。原因はいろいろとあろうが、戦後軍事が政治の正面から遠ざけられ、隊員は国民から敬愛されるものとして遇せられることがなくなったのも一因かと考えられる。
 政府は自衛隊の創設以来、旧軍色の排除にひたすら務めてきた。再び暴走を繰り返さないように、内局制度という類例のないものが設けられた。加えて旧軍のよき伝統は細々と伝えられ、今日に至ったのである。また敗戦の責任はすべて軍そのものにありとされた。軍人、とりわけその遺族は、戦後最も国の援助が必要な時に、恩給等が停止され国と国民から見捨てられた。この様なことを目の当たりにしてきただけに、今後の有事に際し、自衛官は後顧の憂いなく赴いてくれるのかと案じられてならない。
 そのためにも、国を守るため如何なる心構えが必要かを平素から教え、身命を賭して任務を遂行するように、徹底した精神教育が必要になるのに、公明党の反対で、使命に殉ずる教育は一切排除されて、各人の配慮に任されるようになった。自民党が過半数維持を保つにあたり、今後の公明党の影響増大が案じられてならない。
 さらにもう一つ国防に不可欠、かつ最も緊要なものは人的勢力の充実である。国防の土台は人そのものなのである。兵器は新式が望ましいが、例え古くても、また数が少なくとも一応の抵抗ができることは、古来幾他の戦史が証明している。しかし最終的には人的勢力の充実こそが勝利を獲得出来るのだ。予備兵力が皆無に近い自衛隊の現状を、政府によく承知してもらいたい。正面兵力に倍する予備の保有こそが、あらゆる情勢変化に即応できる抑止力なのだから。それなのに、人員は削減に次ぐ削減が恒常化しているのだ。
 今年もまた暑い夏がやってきた。テレビでNHKを中心に、連日連夜大東亜戦争の回顧が繰り返され、戦争の悲惨さを動員された兵士と市民の立場から描き、不戦の誓いを呼び掛けていた。冷静に考えれば、何故負ける戦いに踏み込んだのか、なぜ任務を果たせるだけの兵器を与えなかったのか、何故無謀な作戦を行ったのかと、今更の如く悔やまれてならない。二度と同じ過ちは繰り返さないためにも、国民と一体となっての防衛を行わなくてはならない
 そのためにも現在の防衛力の実情を、広く国民に知らさなくてはならない。武田信玄の『人は石垣、人は城』の言葉の如く、自衛隊に最も必要なのは人材なのだ。一旦有事が到来すれば、身の危険を顧みず国難に当たる決死の勇士がいなくてはならない。平素から国民の敬愛を受けているという自覚がなければ、彼等の後顧の憂いが戦意を鈍らせることになる。そういう心配がないように、政治が平素から心掛けて欲しい。
 最後に政治家にお願いしたい。それにはもっと軍事に精通してもらいたいものだ。政治家の勉強不足は軍事情勢を甘く判断し、不測の大事に対応出来ない結果を招くことになる。訓練には、これで十分だという限界はない。与えられた任務の遂行に、自衛官は黙々と努力せねばならない。しかし兵器の老朽化を訓練で補うことはできない。列強に対抗しうる装備を維持し、その上で外交、経済、文化など、国の総力をあげて安全と平和の維持をはかるようにと、心から願っている。