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西宮生徒監と山崎軍神


 西宮生徒監は、最近インターネットを始められ、本47期ホームページも良くご覧頂いている。この中の「山崎軍神」の記事をご覧になり下記のようなメールを頂いた。

『あまり人に喋らなかったかもしれないが、山崎軍神の記事を見て、感激するとともに、隊付時代を思い出す。

53期は、昭和12.4陸軍士官学校予科に入学(市ヶ谷への最後の入学、市ヶ谷台上に本科50期と予科51、52,53期が揃う)。
昭和12.8本科・予科を分離、陸軍士官学校(座間、航空は陸士所沢分校)。)・陸軍予科士官学校(市ヶ谷残留)となる。9月30日、座間へ出発の50期を校門で見送る。

昭和13.5、予科卒業、隊付、上等兵,伍長と進み、軍曹で9月座間の本科に入学。19歳。因みに、53期は当時としては、大増員、1,770名卒業(内幼年校は東幼の150名のみ)。
予科を卒業後の隊付きで、本科に入るまで3ケ月(短縮)松本50聯隊に配属、その時聯隊は大陸で活躍中、厳密に言うと留守隊と称し、その留守部隊長が山崎保代中佐であった。

士官候補生は、昼は将校集会所で食事するのだが、山崎隊長はいつも温顔で接せられ、元気かの一言のみ、訓示らしきことは一切述べられず、部下の教育を信じ切る態度でした。

ある日曜日訓育中隊長を通じ、士官候補生全員11名が宿舎のお寺に招かれ、すき焼きをご馳走になった。若気の至り腹いっぱい食べた。本科への送別・激励会だった(本科へは原隊から派遣する建前)。

難しい話はなにもおっしゃらず、実に温顔で、「本科では身体に気をつけるよう」にとだけ言われたことを覚えている。接するだけで、肉親の温かみを感じ、文字通り神様のような人格を感じた。』

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