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 三十八期生の歌


 幻であった我等が「第47期生の歌」をCD化するに当たり、平成15年7月22日、朝霞の陸上自衛隊東部方面総監部の東部方面音楽隊を訪問し、その勇壮な演奏を目の当りに聴く機会があった。これには西宮正泰生徒監も参加されたが、そのときこんなものがあったと参加者に配布されたのが「第38期生の歌」であった。
 お話によると百日祭にむけて同期生歌の募集があり、見事当選されたものであった。頂戴した後そのままになっていたが、お許しを得てホームページに載せることになった。

 改めてお話を伺うと次のような事情が分かった。

『3年の夏休みに百日祭のため募集あり、応募したところ選ばれ、作詞西宮正泰、作曲は同期西球男(フィリッピンで戦死)で戸山学校軍楽隊の監修を受けた。
昭和9年秋、陸軍特別大演習を陪観、阿南校長が特に拝謁賜わり、生徒一同にお菓子を賜わる。
貔貅(ヒキュウ)十万両毛に輸贏(ユエイ)争う壮烈を玉座に近く侍りて云々・・・は、その事を歌う。ほかにも多くの佳作あり。多感な漢文好きの少年の代表としてたまたま当選したまで。
ヒキュウ,ユエイは今とても書けない。漢和辞典を引いて見ること。恥ずかしいがホームページでの紹介可(西宮)。』

「名幼四十七期生の歌」も、17歳の大熊少年は随分難しい漢語を駆使しているものだと感心したが、この歌も同じく難しい漢語を駆使している。現代よりは漢語を知っていた筈ではあるが、将校生徒が皆長じていたわけではないことは確かだ。
当時は広幼と仙幼が復活したが、まだ卒業生は出ていない時代で(歌詞の中に広幼が復活した時代の流れが伺える)、わざわざ東幼38期と言わなくてもいい時代であった。また西宮生徒監より、「賀陽の樹齢・・・」は、40期に賀陽宮邦寿王殿下(我々が三年の夏、天白・高師原・豊橋予備士官学校で演習のおり、当時中隊長で在られ、拝謁を仰せつかった)をお迎えしたことを指すと補足説明があった。

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 (東京陸軍幼年学校)
第三十八期生の歌

作詞 西宮 正泰
     第38期生
作曲 西  球男
      第38期生

        
太平洋上風荒れて
欧亜の天地三千里
醜鷲忽ち雲をまき


激浪逆巻き岩を噛む
妖雲荒び雨陰とぶ
黒龍の空風暗し
豊栄昇る朝日影
之天皇(すめらぎ)の治しめす
正義の刃破邪の剣

櫻に匂う大八洲
ああ東海の君子国
揮ふは神州健男子

御稜威あまねき日の本の
御国の基固めんと
戸山の森の清境に

  
尊き御代に生まれ来て
赤き心を抱きつつ
集いし健児百五十

貔貅(ひきゅう)十萬両毛に
玉座に近く侍りて
錦風我等に吹きそいて

輸贏(ゆえい)争う壮烈を
陪観すれば颯(さつ)々と
恩賜の栄に浴しけり

 五 賀陽の樹(き)齢もいや永く
戸山武窓に迎え亦
斯くてぞ充実第一期


    

高く貴き王子(すめみこ)
鯉城々下にK・Dの色
我等が責は重からん

編集注 
貔貅:精悍な兵士  
輸贏:勝敗

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