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★47期生の囲碁
世の中には囲碁愛好家が多い。わが47期生もご多分に漏れず「碁打ち」が多い(筈である)。

47期碁会と言っても、ゴルフ会や川柳会と違って、常連僅か3〜4名の会である。その昔いつの頃だったか、故福井令治君が「やろう」と提唱して始まった。しかしその頃は皆現役で、わざわざ偕行社に来て碁を打つまでにはならず、参加者がなかなか揃わない。やっと体をなしてきたのは、皆完全にサンデー毎日になったここ2〜3年である。

常連とは、中村(守)、増岡、上之門、それに筒井である。 筒井はこの所、所用が多くて て欠席勝ちである。毎月第3金曜日の2時頃から、偕行社の談話室の一隅で、4時半から開かれる拡大世話人会の前座よろしく、一方で開かれている川柳会を横目にして、ひっそりとしかしかなり熱くなってやっている。そして拡大世話人会が始まるのを見計らって、その後の一杯会に参加する。これが楽しい。

さて、誰が上手いかと言えば、私(上之門)の見るところ、常連ではないが、佐々木ではないか。佐々木を6段格とすると、あとは筒井が5段格、ついで4段格に、中村、上之門、増岡が続くと見ている。
みんな普段は近くの碁会所に通い、またある者はインターネットでとうんざりするほどの時間、腕を磨いてやってくるようである。
 
恐らく、もっと上手な同志がいると思う。例えば兵庫の山口とか,栃木の亀田とか。やる機会がないので判らない。常連が増えると、もっとましな物になるだろう。近くで偕行社まで来れる人は、大いに参加して欲しい。
             
上之門 三郎
H19.4.17 上之門・左、中村・右の両君


★囲碁のはなし  H24.1.17 同期生新年懇親会にて 
上之門 三郎
 
 昨H23年年9月、中村守君が亡くなった。彼は私の碁の好敵手だったから、残念でなりません。今日は彼の追悼の意味を含め、碁の話をしたいと思います。
 
 まず我々同期生の中で碁の名手は誰かという事になりますが、私の推定では一番が佐々木英治だと思う。彼は「学士会」と言う組織の囲碁部で優勝を重ねており、アマチュア七段位の域に達しているものと思われます。次いで、故筒井良三、山口晴の五段、上之門三郎、故中村守、亀田保男の四段、増岡鼎の三段、と続くものと思われる。小松國男が趣味囲碁、四段と書いていますが、打った事が無いので実力の程は判りません。その他にも俺は五段だ、四段だと言う人がいるかも知れませんが、悪しからず。
 
 一般に、碁の力は「読み書きソロバン」の力とは大して関係がないと言われています。学力は抜群だが、碁は駄目だと言う人がザラにいます。「酒は別腹、碁は別智」とか「あの馬鹿が本因坊に2目置き」などと、碁に弱い人の作った古川柳もありますが、碁に弱いからと言って心配するには及びません。私も佐々木には3目置かないと勝負にはならないでしょうし、佐々木もプロ棋士には3目置かないと話しにならないでしょう。上には上、下には下があるのが碁です。それでは先ず碁の歴史から始めます・

囲碁の歴史
 囲碁は3000年位前に中国で最初の形が生まれ、日本には仏教伝来とともに入ってきたと言われています。源氏物語や枕草子にも碁の話が出ていますから、その後日本では上流社会の「遊芸」としてカルタ等とともに、かなり普及していたものと思われます。
しかし、碁を「遊芸」の類から「芸能」のレベル迄高めたのは何と言っても徳川家康ではなかったかと思われます。徳川家康は当時の碁の名手を幕府で公認し、扶持を与えました。お蔭で、公認の碁のプロが生まれ、碁の技術はこの頃から飛躍的に向上しました。碁の歴史上、最高の実力者は4世本因坊道策だといわれていますが、彼は江戸時代中期の人です。中国や朝鮮では碁は相変わらず麻雀並の「遊芸」として扱われましたから、碁の技術は日本が世界一となりました。この傾向は昭和の終わりごろまで続きます。
 昭和に入ると、木谷実、呉清源、と言う二大スターが現れました。呉清源は中国生まれですが、その碁の才能に惚れた日本の有力者が色々支援して、昭和3年、14歳で日本にやってきました。忽ち才能を開花させ、木谷実と2人で「新布石」と言う序盤作戦を編み出しました。戦後は実力第一人者の時期がかなり続きました。今でも健在です。木谷実は戦中戦後の食糧難の時代にも拘わらず、全国から碁の才能に長けた子供を見つけ出し、内弟子にして自分の家族と一緒に育てました。その苦労は並大抵ではなかったろうと思われます。その効果は抜群で、木谷門下からは、大竹英雄、石田芳夫、加藤正夫、武宮正樹、趙治勳、小林光一、などと言う、戦後の囲碁界をリードした名棋士が輩出しました。孫弟子まで含めると、木谷一門の段位は500段を超えると言います。木谷実は昭和囲碁界の大恩人です。
 現在の日本囲碁界はアラホーの山下敬吾、羽根直樹、高尾紳路、張羽の4人が「平成の四天王」と言われ、囲碁界をリードしています。ここで少し現在の日本プロ棋士の実力を考えて見ましょう。

日本プロ棋士の実力
 日本のプロ囲碁界は現在日本棋院と関西棋院に分かれていて、所属棋士は日本棋院が300名強、関西棋院が100名強です。そのうち女子が60名強いるようです。この人たちが各新聞社主催の七大国内棋戦等を戦って生活しています。所で、最近日本のプロ棋士達の実力は中国、韓国のプロ棋士たちに負けるのではないかと言う人がいます。確かに日本のプロは国内棋戦のタイトル保持者でも、国際棋戦となるとここ数年、韓国や中国のプロに負け続けています。
 中国、韓国のプロ棋士は日本囲碁界の海外普及活動もあって、戦後誕生したものです。歴史は浅いのですが、折からの囲碁ブームに乗ってプロ棋士の実力は急速に日本に接近しました。韓国では棋戦優勝者の兵役免除、中国では国家補助などの影響もあって、数では日本よりかなり少ないプロではありますが、そのトップクラスは日本のトップクラスを凌駕する勢いとなりました。日本の大相撲や、女子のプロゴルフ界と同じです。若し日本の七大国内棋戦に参加を許したら、軒並みタイトルを奪われるかも知れません。ハングリー精神の差でしょうか。しかし、それは無いと言う人もいます。
 日本のプロが国際棋戦に弱いのは、国内棋戦に比べて賞金がすくないので、力を入れないからだ、と言うのです。果たしてそうなのか、実の所よく判りません。
最後に現存する異色の棋士達についてお話したいと思います。

異色の棋士達
 私のあげる異色棋士の筆頭は、関西棋院の坂井秀至八段です。彼は医者の家に生まれ、京大医学部を卒業し、医師の資格を取った途端に関西棋院のプロ採用試験を受け、プロ五段になりました。トップ棋士の多くは5〜6歳で碁を覚え、14〜5歳で入段と言うケースが多いのですが、彼は30歳近くでプロとなったにも拘わらず、3年後にはトップ棋士仲間の名人戦リーグに入り、2010年には七大タイトルの一つ、碁聖位を獲得しました。関西棋院にとっては久しぶりのタイトル獲得でしたから、関西碁界は大いに活気づきました。
 次は日本棋院の石倉昇九段です。東大法学部を出てその頃のエリートコース、日本興業銀行(現みずほ)に入社しましたが、囲碁の未練を断ちがたく、25歳で日本棋院の試験を受けプロ棋士になりました。やがて九段まで昇進し、現在はアマチュア指導の第一人者として、大活躍中です。
 光永淳造六段も東大卒です。彼は灘高の囲碁部時代、坂井秀至主将のもと、副主将を勤めたそうですが数学も得意で、高校生の数学オリンピックで優勝しています。当然、東大理学部数学科に入りましたがこれを卒業すると、日本棋院の試験を受けてプロ棋士になってしまいました。しかし、プロ棋士の世界は数学界ほど、甘くないらしく今の所六段ですが、今後が楽しみです。
 宮沢吾朗九段と言うユニークな棋士が日本棋院に居ます。綾小路公麻呂司会のNHKBS「ご機嫌歌謡笑劇団」のレギュラー「サカナ君」が彼の息子だと最近知りました。ユニークさは、商売は何であれ遺伝するものだとつくづく思った次第です。
 井山裕太九段は未だ22歳です。しかし七大タイトルの内、二つをもっており、今や「平成四天王」を脅かすスターの座につこうとしています。デビューは将棋の羽生さんほど派手ではありませんでしたが、きっと次代を背負う棋士になる事でしょう。
 小林泉美と言う女流棋士が居ます。木谷実の孫です。木谷実は多くの名棋士を育てましたが、自分の子供の内、棋士に育ったのは四女の礼子さんだけです。男の子三人は親の希望空しく、三人とも東大に進み、それぞれ医者、教授、公務員の道を選びました。親の気持はどうだったでしょう。
 これに似た話があります。先頃、将棋の米長邦夫元名人がパソコン将棋ソフトに負けたと言う記事が新聞を賑わしました。将棋やチェスは千変万化の碁と違って読みやすいので、いずれソフトにタイトルは奪われるだろう、と言われていましたから驚くには当たりませんが、この米長邦夫元名人の兄三人が三人とも東大に入り、自分だけプロの将棋指しになったとき、「兄貴達は頭が悪いから東大に入った」と言ったのは有名です。
 閑話休題、話を元に戻します。小林泉美六段の母は木谷礼子六段、父は小林光一九段です。父よりも強い棋士と結婚したいと言う希望通り、当時の本因坊張羽と結婚しました。そして翌年娘が出来ましたが、その子の名前がなんと、「こすみ」。碁石の動かし方の名称と同じです。最高の名前、最高のサラブレッド「こすみ」ちゃんの将来が誠に楽しみです。
 最後は謝五段。彼女は台湾出身で当年とって花の22歳。14歳で入段し、瞬く間に頭角を現し、いまや女流棋戦のタイトルを独占しています。二年まえ、当時の民主党幹事長、小沢一郎氏が3目置いて彼女に挑戦し、惜敗はしましたが、小沢氏の実力が本物である事を内外に知らしめました。今の政界で実力を伴う碁打ちは小沢氏、菅直人氏、与謝野馨氏辺りではないでしょうか。かって日本棋院八段を称する福田赳夫元総理に記者が「実力は何段ですか」と聞いたら「君、それは国家機密だよ」と言う返事が返って来たと言う話があります。
 以上で私の碁の話は終わりますが、碁は老人のボケ防止には最適だと言う説もあります。どうか皆さん、碁に少しでも関心を持っていただいて、これ以上ボケないよう祈念し、中村守君の追悼の言葉と致します。

(2012.1.17 名幼47期新年会での話に若干加筆補正)

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