日銀貨幣博物館 | 浅草寺界隈 | ベイエリア・お台場 | 乃木神社・東郷神社 | |||
高輪泉岳寺 | 横浜・山手周辺 | 柴又・矢切の渡し | 上野公園・花見 | |||
日銀貨幣博物館(H14.11.1)
ごあいさつ
貨幣博物館は、わが国の古代から現在に至るまさまざまな貨幣はもとより、海外の貨幣や貨幣に関する多くに資料を約20万点所蔵し、そのうち約4,000点を常時展示しております。
貨幣の実物や関係資料・研究成果をご覧いただくことにより、貨幣の歴史や貨幣の持つ機能・役割、貨幣と社会の関わりなどをご理解いただければ幸いです。
日本銀行金融研究所 貨幣博物館枝 銭
古い時代の金貨や明治以降の紙幣を沢山に見ていると、だんだん単なる陳列物になって来るから不思議である。
沢山お金を見たところで句会を開き(中国料理・天山)、選句・鑑賞した。
漱石が諭吉に化けて出て欲しい | 井上 つよし | |
お宝は時代につれて軽量化 | 今村 耕一 | |
佳 | 貨幣史の裏に庶民の暮らし見る 一銭のお駄賃だったガキの頃 |
川井 十郎 |
新円にコッペスケトウ想い出し | 榊 龍雄 | |
秀 | 一葉も英世も馴染み五厘銭 | 萩田 威 |
首都圏・東京あるいはその近傍に住んでいても、なかなか行けない所の一つが浅草観音様であろう。テレビで三社祭りだの朝顔市などといつも言っているような錯覚があるが、久し振りに行っちぇお参りした。吟行の功徳であろう。しかしいい句が出来たかどうかは本人次第。(句会:葵丸進)
秋日和善男善女外国人 | 阿部 繁 | |
秀 | 雷門茶髪もいなせ俥曳き | 今村 耕一 |
佳 | 時の鐘戦火に耐えて生き残り エノケンやロッパ懐かし六区街 |
尾崎 卓司 |
社寺並びさい銭不足頭下げ | 川井 十郎 | |
観音に母屋取られた三社様 | 榊 龍雄 | |
仲見世もローマ字目立つ変わりよう | 萩田 威 |
戦後の東京で最も変わった所の一つに、ベイエリアが挙げられよう。
その昔黒船に驚き大慌てで作ったお台場の一つが大変貌。今や若者向きのアミューズメント区画やレストラン区域、大催事場など、そして宗谷丸、二式大艇、戦艦陸奥の主砲など、われわれ年寄りが見る所もチャンと用意してくれているので飽きさせない。また乗り物もモノレールや幾つかの新線が乗り入れている。(句会:地中海レストランプラザ)
お台場かこれがお江戸の防衛線 | 阿部 繁 | |
秀 | アメリカを睨んで陸奥の主砲坐し | 井上 つよし |
副都心ここにも出張る太公望 | 今村 耕一 | |
潮風に吹かれて巡るゆりかもめ |
尾崎 卓司 | |
宗谷丸老いて化粧し生きつづけ | 川井 十郎 | |
ご苦労さん宗谷は今は楽隠居 | 榊 龍雄 | |
佳 | 強風下余生平和な二式艇 南極の思い懐かし小さき船 |
萩田 威 |
われわれの子供時代は日露戦争は近かった。乃木・東郷は軍神であった。
その二軍神を祀る両神社の参詣して、身の引き締まる思いであった。特に乃木祭の日を選んだので乃木邸の内部を参観できた。
「殉死の間」の前では厳粛な気持に打たれ、自然に頭を垂れた次第であった。(句会:原宿・南国酒家)
乃木邸の五右衛門風呂の質素です | 阿部 繁 | |
モールスでお出まし願う軍神 | 井上 つよし | |
軍神を無能とけなす文士あり | 今村 耕一 | |
特年兵碑文に悲し奮戦記 |
尾崎 卓司 | |
なつめの木日露の絆美しく | 川井 十郎 | |
佳 | 高潔の将軍なぜか戦下手 名将の教訓を反古の太平洋 |
榊 龍雄 |
秀 | 主なき古屋に棗の孫木伸び | 萩田 威 |
日本人の心情の中に深く根ざした忠臣蔵、その四十七士が祀ってある有名な泉岳寺への吟行である。墓所と資料館の狭い範囲をみっちり参詣・参観した。
用意した線香をどのお墓にも行き渡るように按配しながら、俗名と戒名を見比べ、赤穂義士銘々伝を呼んでいるようにお参りした。(句会:三田・中華飯店)
線香を割り当てあげる四十七 阿部 繁 本懐を遂げて春風義士の墓 井上 つよし 佳 様々の事情を背負った義士の顔
窮屈に肩を寄せ合い墓の中今村 耕一 三百年香華の絶える暇なし
尾崎 卓司 梅一輪落ちて主税は十六歳 川井 十郎 娑婆は春一句ひねろう源吾どの
榊 龍雄 俗名を追いつつ義士に香たむけ 萩田 威
午前11時、石川町駅に集合。元町商店街を散策しながら山手を行く。途中で例よって取りあえず洒落たビアホールに寄り喉を潤して一服。
その後、外人墓地→港の見える丘公園(山手資料館・岩崎博物館・大仏次郎記念館など)と充分歩き→中華街で句会・昼食となった。
どこも歌になったり物語になったり、幕末の開港以来年季の入ったエキゾチックで洒落た横浜を満喫した。句材十分の吟行になった。
異人館都心ざるでも出て来そう | 阿部 繁 | |
赤い靴枝に咲かせた合歓の花 | 井上 つよし | |
佳 | 街並みにエキゾチックがにじみ出る 生麦の頃から眠る異人さん |
今村 耕一 |
過ぎし日の面影残し氷川丸 |
尾崎 卓司 | |
港から歌が聞こえる赤い靴 | 川井 十郎 | |
故郷へはるかな想い無縁墓 |
榊 龍雄 | |
大佛は猫・猫・ねこの記念館 | 萩田 威 | |
何人で来ても港が見える丘 | 水越 巌 |
柴又は昔から帝釈天で有名だった。しかし昭和43年「男はつらいよ」第1作が公開されて以来、門前町から観光地に劇的に変貌した。
柴又の駅から帝釈天に向かって参道を歩くと、今にも寅さんやさくらやおっちゃん、おばさんが出てきそうな気がする。途中の店で取りあえず出陣式と称してビールで乾杯する。壁には「寅さんはつらいよ」の映画ロケの写真が一杯貼ってある。この店がいかに映画撮影陣と関係は深かったかをアッピールしているようだ。帝釈天にお参りして、矢切りの渡しで向こう岸までを往復した。(写真のように、お客やかもめは沢山いませんでした)
平成9年11月にオープンしたばかりの「寅さん記念館」へ回る。
寅さんをしっかり堪能して句会場の川魚料理川甚へ行く。これも江戸時代から有名な店だそうだ。鯉こく定食を食べる。もちろん句会もしっかりしました。
寅さんの男はつらい俺もだよ | 阿部 繁 | |
死ぬ前にやりたかったよ栄誉賞 | 井上 つよし | |
寅さんは片道切符で永い旅 |
今村 耕一 | |
口ずさむ矢切の渡し夏景色 |
尾崎 卓司 | |
寅さんも後で芽が吹く川柳 | 川井 十郎 | |
佳 | ご苦労さん四十八度のふられ役 ふうてんはたんか残して栄誉賞 |
榊 龍雄 |
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平成8年の12月に発足した「句即快乃会」も、立春を過ぎるとうずうずして、吟行というものを花見のシーズンにやろうということになった。花見といえば当然先ず「上野」となる。やれ吟行なら俳句のほうがよいのではないか、やれ句会は何処でするのかなど大騒ぎの末、4月5日に決行に決めた。ところが暖かったせいか開花予想が早まり、このままでは葉桜になってしまうということで、急遽3月26日に繰り上げ、会場への予約も繰り上げドタバタの末、絶好の咲き具合で快晴の日和に開催できた。
花見の宴の真ん中へ繰り出すのであるから、途中の飲酒は自由ということになった。しかし実際には川柳作りに気を取られほとんど飲めず、句会(会場:NTTうぐいす倶楽部)のほうで痛飲して大分予算オーバーになった。
どうやら川柳(勉強)より団子の感じの吟行であった。
しかしこの吟行は、この後の続く吟行の基となる記念すべき第1回吟行となった。
写真は「東京発フリー写真素材集」より |
何事ぞ花見る人のポケベルは | 阿部 繁 | |
カラオケを花も開いて聞く上野 | 井上 つよし | |
弁天も花見の収入(みいり)でニンマリと |
今村 耕一 | |
花の陣隣の美女へ注ぎに行く | 川井 十郎 | |
佳 | 花は五分下の宴は全部咲き 花見れず動けぬ西郷くやしがり |
榊 龍雄 |
歳重ね団子と花の価値変わる | 野村 亨 |