「吟行」へ戻る

旧岩崎邸庭園(H16.4.2)




夜来の雨は音を立てるほどの豪雨で、吟行の実施が危ぶまれ、集合の10:30にもやや残っていたが、次第に晴れ良い吟行日和となった。
吟行の参加者は川井、榊、尾崎、萩田、今村の5名でやや淋しかったが、十分見学した後、近くの東天紅で句会を行った。結果は次の通りで、各人一句を紹介する。(句会:東天紅)





説明に揃って頷き部屋廻る 今村 耕一
イスラムのタイルを残す岩崎邸 尾崎 卓司
コンドルは婦人部屋だけ豪華にし 川井 十郎
コンドルさん湯水のままに設計し 榊  龍雄
郵船で築いた庭に春が咲き
久弥氏の書斎に閥の財を知る
萩田  威





入場前
正面左 本館・内部
庭園の桜 右奥撞球室 ベランダ 不忍池

岩崎庭園は、越後高田榊原藩江戸屋敷、舞鶴藩知事・牧野弼成、桐野利秋などを経て、岩崎家本邸へと変遷した。往時は1万5000坪あまりの敷地にから20棟もの建物が並んでいた(現在の敷地は約5200坪で1/3)。
第2次大戦後、進駐軍の接収などののち国有財産となり、最高裁司法研修所等として利用された。平成6年(1994)年に東京都の管理となる。

昭和36(1961)年に洋館と撞球室が重要文化財に指定。和館大広間東脇にある袖塀とともに昭和44(1969)年に、さらに宅地、煉瓦塀を含めた屋敷全体と実測地図が平成11(1999)年に重要文化財に指定された。

別棟の撞球室を含む洋館は木造2階建で明治29年、英国人建築家ジョサイア・コンドルの設計により完成した。
洋館と結合した和館は僅かに大広間が残るのみであるが、日本人棟梁の手によって建てられた。

付属する庭園は当初より大幅に縮小されているが、大名庭園の面影を残している。

公開されいるのは建物のみであり、当時からの調度品は一切ないが、三菱財閥全盛期の第三代岩崎久彌が、この本邸の他の深川別邸(現清澄公園)、駒込別邸(現六義園)など、西南戦争など御用商人として財を成した財閥のご威勢の跡ともいえよう。
自分達だけで見学するのでは、ただ廻るだけであるが、ボランティアの方々が細部にわたり懇切な説明をしているので判りやすい。


「吟行」へ戻る