要塞砲兵の歌
「要塞砲兵の歌」は、一般にも広く親しまれ、関係軍歌集にもほとんど収録されている。明治39年中幼5期生の歌集「思い出草」に発表された。(明治四十二、三年頃の作という)。 |
(軍歌集 雄叫「昭和52年6月20日版」より) |
太字は昭和35年12月1日版 |
注:この歌を掲載したところ、同期生の一人から「在校時から好きな歌だったので、歌詞が違うように思う。違っているところを指摘する」という連絡があった。詳細にチェックすると、FAXで送ってきた歌詞は昭和35年12月1日版であり、載せた歌詞は昭和52年6月20日版であり、さらに入力誤りのところも若干あることが分かった。
「雄叫」は権威の方々が監修しておられるので、新しい方が正本と思われるが、誤植も結構あるようなので、参考のため両方を載せ、新しい昭和52年6月20日版に対して違うところを太字で示した。
作詞 | 石井 (淳)洵 (中幼5期) |
作曲 | 須磨 学之 (中幼5期) |
太字は昭和35年12月1日版 |
昭和35年12月1日版 | 昭和52年6月20日版 | ||
(指摘のあった歌詞) |
(初めに掲載した歌詞) |
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一 |
崩るる潮の渦巻きて |
一 |
崩るる潮の渦巻きて |
二 | 海の城てふ艨艟も 守るに長し我がほとり ただ固めたる要塞に 健児睨んで立てるあり 鯨頭われに何かある 鯨尾いかでか振わんや |
二 | 海の城ちょう艨艟も 守るに長し我がほとり ただ固めたる要塞に 健児睨んで立てるあり 鯨頭われに何かある 鯨尾いかでか振えんや |
三 | 桃源の夢さめし時 殊勝や長の武夫が 迷える民を警めて 砲(つつ)の響に外つ国の 聯合艦隊撃破しぬ 由来わが眼に敵もなし |
三 | 桃源の夢さめし時 殊勝や長の武士(もののふ)は 迷える民を警めし 砲(つつ)の響に外邦(とつくに)の 聯合艦隊撃破しぬ 由来わが眼に敵もなし |
四 | また君見ずや麑城下 英船の胆ひしぎ取り 錨奪いしことあるを 子平の身にはあらねども 民は得知らぬ海防と わが帝国の保全をば |
四 |
また君見ずや麑城(げいじょう)下 |
五 | そは改新の一径路 今や精(くわ)しき砲(ほう)もあり 国の礎打ち据えて 堅き塞の十余ヵ所 たまたま時は移り来て 遠征もせし攻城隊 |
五 | そは改新の一逕路 今や精(くわ)しき砲(つつ)はあり 国の礎打ち据えて 堅き台(うてな)の十余ヵ所 たまたま時は遷り来て 遠征もせし攻城隊 |
六 |
攻城砲の猛き威に |
六 |
攻城砲の猛き威に |
七 | 遼陽の野に奉天に 敵の防備を仇にして 歩兵導く重砲の 残る煙の底に湧く どよめきの声勇むなり 先進の士の功高し |
七 | 遼陽の野に奉天に 敵の防備を仇にして 歩兵導く重砲の 残る烟の底に湧く どよめきの声勇むなり 先進の士の功高し |
八 |
さればや我は今ここに |
八 |
さればや今は吾ここに |
九 | 宮島の影、清きとき 紀伊の遠山、青きころ 訪えよ我が友この島に 行くや白帆を数えつつ 夕日の綾に包まれて 画中の身をば忘れなん |
九 | 宮島の影清きとき 紀伊の遠山(えんざん)青きころ 訪(と)えよ我が友この島に 行くや白帆を数えつつ 夕照(ゆうしょう)の綾に包まれて 画中の身をも忘れなん |
十 |
神武東征その折りの |
十 |
神武東征そのときの |
十一 | 秋は来にけり澎湖島 福州の波通わせて わが武を伸べん日を計り 冬は津軽の海青く 浪とこしえに動く上 雪白遠し蝦夷の土地 |
十一 | 秋は来にけり澎湖島 福州の波通わせて わが武を伸べん日を計り 冬に津軽の海蒼く 濤長しえに動く上 雪白(ゆきしろ)遠し蝦夷の土地 |
十二 | 別れし君と文やりて 砦守りの将軍と 果てしもあらぬ大海(わだつみ)を 朝な夕なに眺めつつ 聖りの国に捧げたる わが運命をば悟る哉 |
十二 | 別れし君と文遣りて 砦守りの将軍と 果てしもあらぬ大海(わだつみ)を 朝な夕なに眺めつつ 聖りの国に捧げたる わが運命(さだめ)をば悟る哉 |
「砲」は三番、五番でそれぞれ 「つつ」「ほう」と読み分け、 また十一番の「雪白」は(せっぱく)と歌っていたという。 |