戻る


橘 中佐(

橘中佐銅像
橘周太中佐は、東宮(大正天皇)の御付武官ののち、名古屋陸軍幼年学校第二代校長となりその人徳は職員・生徒に深く敬慕されていた。その後歩兵第34聯隊第1大隊長となり、明治37年8月遼陽会戦においては聯隊右翼第一線として敵を攻撃、首山堡において壮烈な戦死を遂げた。
この軍歌は、国語担当の鍵谷教官が作詞、唱歌担当の安田教官が作曲、全校生徒が慰霊祭に斉唱した。曲は長音階で極めて唄いやすい旋律なので、軍歌として広く普及した。
作詞:鍵谷 徳三郎
作曲:安田 俊高

メロディー(曲)
メロディー(唄入り)


遼陽城頭夜は闌けて
有明月の影すごく
霧立ちこむる高梁の
中なる塹壕声絶えて
目醒め勝ちなる敵兵の
肝驚かす秋の風


 二 わが精鋭の三軍を
邀撃せんと健気にも
思い定めて敵将が
集めし兵は二十万
防禦至らぬ隈もなく
決戦すとぞ聞こえたる


時は八月末つ方
わが籌略は定まりて
総攻撃の命下り
三軍の意気天を衝く
敗残の将いかでかは
正義に適する勇あらん


 四 「敵の陣地の中堅ぞ
まず首山堡を乗っ取れ」と
三十日の夜深く
前進命令たちまちに
下る三十四聯隊
橘大隊一線に


みなぎる水を千仞の
谷に決する勢いか
巌を砕く狂瀾の
躍るに似たる大隊は
彩雲なびく明けの空
敵塁近く攻め寄せぬ


かくと覚りし敵塁の
射注ぐ弾の烈しくて
先鋒数多斃るれば
隊長怒髪天を衝き
「予備隊続け」と太刀を振り
獅子奮迅と馳せ登る


剣戟摩して鉄火散り
敵の一線まず敗る
隊長咆吼躍進し
率先塹壕とび越えて
閃電敵に切り込めば
つづく決死の数百名


敵頑強に防ぎしも
遂に砦を奪い取り
万歳声裡日の御旗
旭に高く翻えし
刃を拭う暇もなく
彼逆襲の鬨の声


十字の砲火雨のごと
よるべき地物更になき
この山上に篠つけば
一瞬変転ああ悲惨
伏屍累々山を被い
鮮血よう漾々壕に満つ


折しも咽喉を打ち抜かれ
倒れし少尉川村を
隊長みずから引っ下げて
壕の木蔭に包帯し
再び向かう修羅の道
ああ神なるか鬼なるか


十一 名刀関の兼光が
鍔を砕きて弾丸は
腕を削りてさらにまた
続いて打ち込む四つの弾丸
血煙さっと昇れども
隊長さらに驚かず


十二    厳然として立ち止まり
なおわが兵を励まして
「雌雄を決する時なるぞ
この地を敵に奪わるな
疾くうち払えこの敵」と
天にも響く下知の声


十三 衆を恃める敵兵も
雄叫び狂う我が兵に
突き入りかねて色動き
浮き足立てし一刹那
爆然敵の砲弾は
裂けぬ頭上に雷のごと


十四 辺りの兵に浴びせつつ
弾丸はあられとたばしれば
打ち倒されし隊長は
「無礼ぞ奴」と力こめ
立たんとすれど口惜しや
腰は破片に砕かれぬ


十五 「隊長傷は浅からず
暫し此処に」と軍曹の
壕に運びて労わるを
「否見よ内田浅きぞ」と
戎衣を脱げば紅の
血潮淋々ほとばしる


十六 中佐はさらに驚かで
「隊長われは此処に在り
受けたる傷は深からず
日本男子の名を思い
命の限り防げよ」と
部下を励ます声高し


十七 寄せては返し又寄する
敵の新手を幾たびか
打ち返えししも如何にせん
味方の残兵少なきに
中佐はさらに命ずらく
「軍曹銃を執って立て」


十八 軍曹やがて立ちもどり
「辛くも敵は払えども
防ぎ守らん兵なくて
この地を占めんこと難し
後援きたるそれまで」と
中佐を負いて下りけり


十九 屍ふみ分け壕を飛び
刀を杖に岩を越え
ようやく下る折りも折り
虚空を摩して一弾は
またも中佐の背を貫きて
内田の胸を破りけり


 

戻る